稲作儀礼の一つである。稲作の豊かな実りを妨げる災害には、水損・干損・風損などがあったが、虫害もその甚だしいもので、害虫の駆除は農民の切なる願いを込めて行われたものである。
この行事は、現在の西・北津軽郡の村々での「虫送り」行事を思い起こさせるもので、宝暦期(一七五一~六四)以降に、農民が主体となって行う儀礼として成立した。菅江真澄が寛政八年(一七九六)六月から七月にかけてこの地域でみた様子は、次のようなものであった。
六月二十九日の記事では、藁でさまざまな虫をかたどり、それを「に」すなわち赤土で染めてつくった大きな人形が、水田の取水口付近の木の枝につるされている様子が知られる。七月六日の記事では、人や虫をかたどった多くの「かたしろ」すなわち祭祀のとき神体の代わりとしておく人形と紙ののぼりを押し立てて、鼓や笛、鐘といった楽器で囃し立て、舞い踊りながら田を巡る様子や、刀で虫に化身した悪霊を払うなどの、当時の虫送りの様子が描かれている(「外浜奇勝」)。