石場家(いしばけ)住宅(重文)は、外堀を隔てて
弘前城の北門(きたもん)(亀甲門)の真向かいにある。石場家の由緒は明らかではないが、代々清兵衛(せいべえ)を襲名して、津軽弘前藩内の
藁工品(わらこうひん)や荒物(あらもの)を扱ってきた豪商で、のちに米や肥料などの小売りもしたという。建物は正面二七・九メートル、奥行三九・六メートルの広大な屋敷地(約一一〇〇平方メートル)の南西隅に建てられ、間口一六・二メートルの
入母屋造(いりもやづくり)・柾葺・
妻入りの形態のものが主棟となっている。東西に走る亀甲町の道路に沿って、正面右側には別に一五畳の角(かど)屋敷が取りつけられ、さらにこれを含めた道路側に「コミセ」を張り出している。屋内の土間(どま)・井戸などに近世の雰囲気が漂う。全体的に木柄が太く、
構えも大規模で、改造が加えられてはいるが、近世後期の数少ない
商家の遺
構として貴重である(草野和夫『
青森県の民家』一九七七年 東奥日報社刊、『重要文化財
石場家住宅保存修理報告書』一九八二年 石場清勝刊)。石場家は、黒石の豪商高橋家(たかはしけ)住宅(現黒石市中町、重要文化財)とともに現存する町屋の遺
構の双璧(そうへき)といえるであろう。
図126.石場家住宅