染屋たちによる染め賃値上げの交渉はしばしば行われた。「国日記」弘化三年(一八四六)十月二十六日条の場合、染屋たちが一堂に会して合議の結果、持ち合わせの藍がないとの理由付けをし、御用物の染め方を拒否したり、作業遅延の手段に出ていた。これに対し藩では、地藍の生産が向上し、一方手織木綿もしだいに生産高が多くなっているので、それだけ染物の需要も多く、少なからず利益をもたらしているはずである。かえって値下げすべきところ不実の行為なりとし、始末書の提出を求めている。また染屋の中では、葉藍の出盛り時期にもかかわらず論買い(競(せ)りか)を行って値段をつり上げ、原料高と称して染め賃の値上げ(三割増)をたくらんでいる例も認められる(「御用留」文久二年〈一八六二〉十一月二十七日条ほか)。