目次
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新編弘前市史 通史編3(近世2)
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第8章 藩政期の文化
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第三節 宗教と信仰
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二 寺院
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(八)日蓮宗の寺院
法立寺
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法立寺
(ほうりゅうじ)は、本満寺(現京都市)の弟子日尋が天文二年(一五三三)、賀田村(現中津軽郡岩木町)に創建した。日尋は
松前
・秋田へ布教し、京都で死去した。
文禄三年(一五九四)に
堀越
、慶長十六年(一六一一)元寺町へ移転、同十七年、信枚は
法立寺
を
本行寺
と改称させ、新たに
法立寺
を建立した。慶安二年(一六四九)に類焼し、新寺町へ移った。
正徳元年(一七一一)の「
寺社領分限帳
」は、寺領五〇石は為信が慶長年間(一五九六~一六一四)に寄進したとする。
図222.
法立寺
入口の題目石