法立寺

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法立寺(ほうりゅうじ)は、本満寺(現京都市)の弟子日尋が天文二年(一五三三)、賀田村(現中津軽郡岩木町)に創建した。日尋は松前・秋田へ布教し、京都で死去した。
 文禄三年(一五九四)に堀越、慶長十六年(一六一一)元寺町へ移転、同十七年、信枚は法立寺本行寺と改称させ、新たに法立寺を建立した。慶安二年(一六四九)に類焼し、新寺町へ移った。
 正徳元年(一七一一)の「寺社領分限帳」は、寺領五〇石は為信が慶長年間(一五九六~一六一四)に寄進したとする。

図222.法立寺入口の題目石