大円寺

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大円寺(だいえんじ)は、「大円寺縁起」(資料近世2No.四一一)によると、文亀年間(一五〇一~〇三)に、種里村一ツ森麓(現西津軽郡鰺ヶ沢町)に大円房が創建した。永禄年間(一五五八~六九)に門外(かどけ)村(現市内)に移り、弘前城築城にあたり美濃輪田に移転し、寛永年間(一六二四~四三)に新寺町へ移った。
 明暦元年(一六五五)に京海が湯殿山注連寺へ出かけ、その末寺になった。延享元年(一七四四)には仁和寺(にんなじ)(現京都市)、安永二年(一七七三)には高野山遍照尊院(へんじょうそんいん)へ継目相続のため赴いているので、本末関係に変化があったとみられる。五重塔は寛文四年(一六六四)から建立を始め、その後、領内に奉加が認められ、同七年にようやく完成した。明治五年(一八七二)、神仏分離により最勝院が大円寺の場所へ移り、大円寺は高伯寺(こうはくじ)(現南津軽郡大鰐町)へ移った。

図224.最勝院五重塔