甲子信仰

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甲子(かっし)信仰は大黒天を祀るもので、室町時代(一三三六~一五七三)に大国主命(おおくにぬしのみこと)の信仰と結びつき、左手に袋、右手に槌を持ち米俵にのった福相の姿になり、日蓮宗の守護神とされた(宮崎英修『日蓮宗の守護神』一九五八年 平楽寺書店刊)。高崎・田舎館・賀田村の甲子碑は、日蓮宗僧侶が中心となり、講を組織していた(資料近世2No.四四八)。藩主信明も甲子待をしていた。
 『永禄日記』の寛永十九年(一六四二)には、「古来より七月七日之内甲子有るは凶年と申候」とあって、豊凶に結びつけられていた。甲子待は黒豆一〇〇粒を供え、深夜まで起きて祈った。

図251.旧黒石街道沿いの甲子塔