まえがき

近・現代専門部会執筆編集員
稲葉克夫



 今年のが頂点を極めた一日(いちにち)、これまで筆硯(ひっけん)を庇護していただいたお礼に大行院(だいぎょういん)跡の天満宮に出かけた。樹齢五百年以上のしだれも精いっぱい花をつけて、春雪の岩木山と対峙(たいじ)していた。通史編完成の充実感で境内の芭蕉句碑を詠んだ。
  しばらくは花の上なる月夜かな はせを
 各分野で執筆者は全力を絞って新機軸を打ち出してくれた。心から敬意を表したい。もっともその結果、当初の方針の「高校生も親しめる」というところが、少し離れて、専門的になったかもしれない。そのため、グラビアはもちろん、本文各所に豊富な写真を配して、できるだけ楽しく読めるように工夫を凝らした。
 また、従来は、新市域の記述が手薄であったので、そこに力を入れる方針を立てたが、旧村の資料が敗戦や町村合併の際に処分されていたため、体系的に記述できなかったきらいもある。現在弘前市立図書館に合併村の資料が保存されているので、今後不備を補えたら幸甚である。
 近現代の弘前人の活動は、国内はもちろん海外にも及ぶ。市史の範疇(はんちゅう)を超えているともいえるが、今はそれらにも対応する力が必要である。天満宮の菊池群之助(九郎の弟でアメリカ留学中に客死)碑は明治十二年建立で、「米人殷(イング)氏之来随学且受洗禮」云々と文明開化期の空気を伝えている。文は工藤他山、書は高山文堂、今は百三十年の時間に文字もかすれ、読みがたいが、グローバルな視点とはこういう身近なところから発しよう。
 歴史は多面的で、しかも解釈は動く。今回の市史編纂(へんさん)も多くの先人の遺産に助けられ、市民の協力によってここまで漕(こ)ぎつけたが、なお不充分な点も多いと思う。既往は咎(とが)めずというが、読者の忌憚(きたん)のない御意見を仰ぎたい。あわせて各位のこれまでの御指導・御鞭撻(べんたつ)に深く感謝申し上げたい。