学制の中で最も注目されるのは、全国を対象とした学事統轄である。それによると、全国を八大学区に分け、一大学区を三二の中学区に分け、さらに一中学区を二一〇の小学区に分け、それらの各学区にそれぞれの学校を一校ずつ設置するというものであった。この計画が実施されると、日本全国に八つの大学と二五六の中学と五万三七六〇の小学が設置されなければならない。
学制実施に当たって、青森県は第七大学区に属し、県内は左の四中学区に分かれていた。
青森県が学制を実施すると、今すぐ四校の中学と八四〇校の小学を設置しなければならないが、経済的にも自然的条件からも、それらは実現不可能であった。
それでも、明治六年、左の小学が県内に設置された。
第一四中学区 青森(現長島小学校)、平内、黒石、木造、十三、五所川原、板柳
第一五中学区 白銀(現朝陽小学校)、和徳、鰺ヶ沢、深浦
第一六中学区 七戸、野辺地、三本木、田名部、大畑、大間、川内
第一七中学区 八戸、五戸、三戸、福岡、二戸、浄法寺(福岡、二戸、浄法寺は後に岩手県管轄となる)
第一五中学区 白銀(現朝陽小学校)、和徳、鰺ヶ沢、深浦
第一六中学区 七戸、野辺地、三本木、田名部、大畑、大間、川内
第一七中学区 八戸、五戸、三戸、福岡、二戸、浄法寺(福岡、二戸、浄法寺は後に岩手県管轄となる)