県内の
就学率向上と
学事奨励のため、明治七年から県令(県知事)による学校視察がしばしば行われた。政府が地方官を通じて学事振興に力を注いだからである。八年になると、文部省役人が視察に来て学校関係者に学事振興の必要を説いた。そのような
学事奨励の中でも、ひときわ異彩を放つのは
明治天皇の
天覧授業である。九年七月十五日、
東北巡幸の天皇は青森小学に行幸され、親しく生徒の授業を天覧されたのである。授業に参加の生徒は、県内における上等小学八級在学の二二人(弘前
白銀小学生徒一〇人、青森小学生徒七人、田名部小学生徒五人)、授業者は青森小学訓導
土岐八郎(弘前の人)で授業は輿地図試考を行った。輿地図(世界地図)を指し、世界各国の国名、地理についての試考(問答)を行ったのである。天皇は木戸孝允、岩倉具視の二人を供奉官として教室に臨まれ、熱心に授業を視察され、生徒全員に対し賞として『輿地誌略』一部代として金一円宛御下賜になった。
この
天覧授業は、教育に無関心な県民に小学の重要性を認識させ、
学事奨励の実を著しく挙げた。それは
天覧授業を契機に、県内小学の
就学率が急激に上昇している事実からも明らかである。
ほかに、政府の大官高官が弘前において学事視察奨励を行った実例は次のとおりである。政府がいかに教育行政の確立を望んでいたかが、これをもってわ
かるであろう。
明治八年九月、文部省八等出仕加納久宜、中書記官山中立義各校視察。
同年九月、太政大臣三条実美各校視察。
十一年十月、文部省大書記官西村茂樹各校視察。
十三年一月、元老院議官
佐々木高行勅命により東北各地視察、
朝陽小学において弘前及び中郡各校代表の集合試験に臨む。
十四年九月、天皇再度の
東北巡幸。有栖川親王弘前内の五校を代巡。
十五年九月、文部省大書記官中島永礼各校視察。学事関係者を集めて訓話。