一方、地方行政の下部組織である町村会議員選挙も、明治十二年三月の町村会規則公達によって実施された。議員定数は村の戸数によって定められ、五〇戸未満の七人から一〇〇〇戸以上の二〇人までの一二段階に決められた。選挙人、被選挙人の資格は大幅に緩められ、両者とも満二十歳以上の男子で、その町村に本籍、住居、土地を持つ者だった。投票は用紙に選挙人の住所、氏名、被選挙人の住所、氏名を書いて戸長に差し出した。また、口上にて候補者名を吏員に述べてもよかった。議員の任期は四年だが、二年ごとに半数を改選した。第一回において二年議員を抽籤(ちゅうせん)によって決めた。
戸長は町村に一人だが、二〇戸未満の小村では隣村と併せて一人でよかった。五〇戸未満の村の戸長は月給八〇銭だが、村は平均二五〇戸に戸長一人を置き、その月給は二円五〇銭だった。事務は自宅でもよく、また、総代認可で新設してもよかった。給料は、県税のほかに、村から一定の金額が上乗せされている場合もある。戸長役場の体制は戸長と書役が正式な構成員で、ほかに小使という三人体制だった。戸長の任期は二年だったが、ほとんど一年交代だった。したがって、実質的な行政運営を行っているのは書役と戸長代理で、士族出身など相応の知的能力と事務能力を有する者だった。また、彼らを支えたのは惣代や重立だった。明治十七年から聯合戸長役場となり、平均五町村が集まったので、町村会も、個別の町村会とは別に聯合町村会が開かれ、代表が集まった。