堀越村の場合

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中津軽郡堀越村は、明治初年、門外村一〇三戸、堀越村五五戸、堀越村の支村川合村五三戸、取上村三三戸、大清水村四七戸の合計二九一戸からなる小村であった。聯合戸長役場時代は「中津軽郡門外村三ヶ村外聯合会」の行政組織だった。明治二十二年三月の村会議員は次の一二人だった。
川村元作
葛西穏    (のち村長)
三浦又吉
板垣九十九
小枝彦右衛門
相馬善左衛門
佐藤卯之吉
阿保福次郎
小堀寅助
工藤長左衛門 (のち村長)
道川太郎   (堀越村)
工藤辧吉

 この一二人は二十二年七月まで在職し、四月から九月までの堀越村の予算を決めていた。町村制による初代村長樋口徳太郎は三ヶ村聯合会時代の戸長だった。
 同年八月二十二日の村会議員は次のとおりである。
三浦又吉
葛西穏
工藤友吉
佐藤卯之吉
工藤長左衛門
鎌田萬次郎
芳賀仁三郎
小堀藤太郎  (のち村長)

 このときも定数は一二人で、四人欠員である。二十二年度の堀越村の歳出入の金額は七〇六円九五銭九厘だった。