小学校令の公布

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明治十八年(一八八五)十二月、政府はこれまでの太政官制を廃して内閣制度を定めた。伊藤博文内閣が組織され、初代文部大臣に森有禮(ありのり)が起用された。森は教育制度の大改革に乗り出し、絶対主義的国家の形成を担うに足る国民の育成という国家目的のもとに教育行政に当たった。森は、教育の目的は「帝国に必要なる善良の国民の育成」だと言い、こうして教育された国民は「一国富強の基をなすがための無二の資本」という教育観を日常から披瀝していた。このような立場から公布されたのが十九年三月の「帝国大学令」であり、同年四月の「師範学校令」「小学校令」「中学校令」である。

写真100 初代文部大臣 森有禮小学校令

 それら学校令の中でも、森が最も重要視したのは「小学校令」であった。小学校令は森文部大臣みずから起草したといわれるが、中でも注目されるのは小学校を尋常と高等の二等とし、修学期間はともに四年、尋常四年を義務教育としたことである。同令第三条に「父母後見人等ハ其学齢児童ヲシテ普通教育ヲ得サシムルノ義務アルモノトス」と明記されているが、小学教育を義務と定めたのはこれが最初である。
 小学校令の実施に当たって、森は徳育の重視と小学教育の近代化を目指した。森は観念的な知識教育を嫌い、実際に役立つ教育を奨励した。「多識ならしめるより善良の人間を作る」ことを最良とし、方法として「道具責(ぜ)め」の教育を提唱した。道具責めの教育とは、実物や体験を通して学ばせることで、それは教育の近代化にもつながり、教育全般の発展充実に大きく寄与した。