第二大成尋常小学校の創設

417 ~ 418 / 689ページ
明治三十四年(一九〇一)四月、弘前市会は「大成尋常小学校の分校を設置すること」を議決した。大成小学校は他校に比して児童数が多く、校舎は狭隘(あい)を極めて、増築することは学区民の話題になっていたが、一校新築することは話題にさえ上っていなかった。それが急に一校新築が議決されたのは、知事による諮問の結果であった。知事は児童の増加状態を見て、増築より一校新設の方が適当と思うと述べたが、それが市会に影響して、一校新設が議決された。
表53 弘前市内小学校児童数
(明治三十三年度末現在)
校名
朝 陽三〇二二六七五六九
大 成四二四三四〇七六四
和 徳二一四二〇九四二三
時 敏二一二一九二四〇四
城 西二〇八一九六四〇四
明治三十四年度『弘前市事務報告書

 そこで第二学区会は、市会の決議に従って品川町七一番地に一校を新設したが、同一の学区に建てられた小学校なので校名を同じくし、建てられた順序に従って第一、第二の番号を付した。
 第二大成尋常小学校は三十五年四月に開校したが、同じ日に学区制度(学区会による学校管理制度)が廃止されたので、同校は市によって建てられた最初の小学校といえる。また、第二大成の通学区域は第一大成と同じであることから、男子児童は第二大成、女子児童は第一大成に入学するようになった。
 新設の第二大成尋常小学校の特色は、在籍児童がすべて男子のみということと、在籍児童が第八師団将校の子弟をはじめ、軍関係家族の子弟が多かったことである。同校の初代校長は和島伊八郎、第一大成校長から横すべりの就任。また、開校時の児童数は男子のみ四五一人である。