三 幼稚園教育

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 弘前市における幼児教育は明治二十三年(一八九〇)四月、時敏尋常小学校が保育科を設けて、学齢前の幼児を収容したのをもって嚆矢とする。しかし、時敏尋常小学校保育科については、同校沿革資料に「明治二十三年四月保育科ヲ設ケ学齢前ノ幼児ヲ収容シ数年ノ後之ヲ廃セリ」とあるのみで、それを証明する資料は残っていない。ただ、同年九月、弘前市内小学校教員が参集して、幼児教育について研究会が開催され、その様子を『東奥日報』(明治二十三年九月十二日)は具体的に報道している。この研究会は、おそらく時敏尋常小学校の保育科設置が動機となって、開催されたものと推察されるが、弘前市の小学校教員が、幼児教育に逸(いち)早く目を向けていたことが知られるのである。しかし、弘前市に幼稚園が設置されるのは、これよりさらに十余年後のことである。