貴族院議員選挙の概況

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ここで問題とされた本県の貴族院議員の選挙を通観してみよう。明治二十二年二月、勅令第一〇号をもって貴族院令を発布し、二十三年から施行した。その構成は、皇族・華族・多額納税者の互選者・勅選議員からなり、多額納税議員は任期七年だが、他は終身だった。青森県の場合、互選資格者は一五人で、その中から一人を選んだ。名簿は選挙年の四月一日現在で調製した。大正十四年の改正で互選人は一〇〇人となった。予算先議権以外は衆議院とほとんど同じ権限を持ち、藩閥官僚派の拠点として政党勢力と対抗した。
 本県の場合、多額納税議員は一五人から一人選ばれ、しかも任期が七年という長期のため、情実が行われやすく、任期いっぱいを勤めたのは第一期の野村治三郎(野辺地)のみで、多額議員の選挙はほとんど年中行事のように行われ、私的交代をなし、第六期までに一七人と定員の三倍の議員を生み、七年の任期をわずか一年で交代する議員もあり、さらに政党の意のままに動き、公正な選挙の精神に甚だしくもとるものであった。弘前からは宮本甚兵衛松木彦右衛門宮川久一郎が議員となり、大正十四年九月の新選挙法で敗れた藤田謙一は、昭和三年、勅選議員となった。大正十四年の互選人一〇〇人の中に、弘前関係では、弘前市-藤田謙一宮川久一郎中谷熊吉関清六宮川忠助、和徳村-笹森栄、千年村-松木純一郎、船沢村-高谷貞助、弘前市-菊池長之桜庭秀輔藤田久次郎、高杉村-高杉金作鳴海傳次郎、関藤吉、石崎定吉の一五人がいる。