写真194 藤田謙一
育英社規則第三条に「本社ハ事務所ヲ東京市ニ置ク、但、必要ニ応ジ便宜ノ地ニ支社ヲ設クルコトヲ得」とあるが、藤田育英社は発足と同時に、弘前支社を設け社生採用規則を定めた。規則の一には社生採用の条件が挙げられているが、その四に「家庭ニ於テ現在学資ノ支出ニ堪ヘザル状態ニアルモノ」とあって、進学を希望しながら家が貧しいため、道を閉ざされた生徒たちに光明を与えた。
その当時、奨学資金制度など絶無の時代に、藤田育英社は東京府荏原郡大井町(現東京都品川区)蛇窪に社屋を建て、社生を収容して勉学から生活まで面倒をみた。藤田育英社の社生たちは社誌『藤園』を毎年発刊し、各自の勉学の励みや友情の交流に役立てた。藤田育英社の社生となって学業を卒(お)えたものは一〇〇人以上を数えた。