写真26 太平洋戦争の開戦を告げる『東奥日報』
周知のように日本軍は真珠湾の奇襲攻撃に成功し、シンガポールを攻略するなど、緒戦では有利に戦っていた。しかし中国戦線では抗日運動に燃える中国軍や庶民のゲリラ的活動に悩まされ、消耗戦を強いられていた。そのため政府や軍部は太平洋戦争の遂行に当たって国民の召集・徴発義務を徹底する必要に迫られていたのである。
青森県でも青森連隊区司令部が、開戦まもない昭和十七年の二月、「兵事事務指導事項」を発動している(資料近・現代2No.一〇四参照)。警察当局に対しては兵員の召集・徴発事務の徹底を依頼し、連隊司令部と市町村当局との中間機関になるよう要請している。市町村当局には「兵事事務ノ重要ナル今日ニ若(シ)クモノナシ」として国民召集事務の徹底強化を呼びかけた。いずれも戦争完遂のための指示命令だが、召集・徴発された兵員が服役義務を履行せず、疾病者が召集されることも多かったという。
日中戦争と太平洋戦争でもっとも異なる傾向を見せたのが、召集された兵員が入営し応召者を歓送する際の注意事項だった。宣戦布告する前は防諜上、入営・応召は軍事機密上秘匿する必要があり、歓送行事も抑制するよう指示されていた。ところが宣戦布告以後は「防諜ニ関スル顧慮ナキヲ以テ盛大ニ歓送スル如ク指導セラレ度(たし)」とされた。宣戦布告で敵国が明確になったからである。そのため各地で家族や親戚一同をはじめ、近所の人々が出征兵士を盛大に祝う光景が多数見られた。しかし戦場へ出征する兵隊自身や身内にとっては、表向き出征を名誉のものと見なしながらも、最後の別れになる思いを隠せなかっただろう。出征を記念して撮影された夫婦や家族の写真の表情には、満面笑顔で写っているものはほとんどない。
なお、「兵事事務指導事項」には思想戦対策があった。そのなかに戦争が長期にわたり、物資の不足が生じれば、厭戦・反戦・反軍の言動をなす者が増えるため、防止対策が示されている。太平洋戦争の行く末を暗示するような指示事項である。
兵役にとられ出征する男性だけでなく、女性も含めた勤労奉仕も徹底強化がはかられた。開戦まもない十二月二十三日、軍当局からの依頼を受けた弘前市長は、国民の職業能力を調査し申告するよう指示を発した。「大東亜戦争完遂ノ一翼トシテ国民徴用令改正相成リ、帝国臣民タル者ハ男女年齢ノ如何ニ不問、全部徴用セラルベキ仕組ト相成タルハ既二御承知ノコト」とあり、太平洋戦争の勃発で文字どおりの国民総動員が開始されたのである。職業能力調査は、主として土木肉体作業従事者の徴発を意図していたため男性だけが対象だった。四十歳以上六十歳未満の男性を対象としたことは、それ以下の年齢の男性は前線へ総動員される可能性があったと見なせよう(同前No.一一二参照)。