昭和初期の教育は大正時代の諸施策を進めて、教育の発展が図られた時期であった。しかし、昭和六年(一九三一)九月の満州事変勃発を契機に、国家全体が準戦時体制へと移行したため、教育もまた急速にその方向に歩みを変えることとなった。
教育現場では昭和五、六年ごろまで大正デモクラシーと新教育の流れが影響を与えてはいたが、満州事変後は国家主義思想が強くなり、これらの教育運動は急速に消滅した。それに代わって「国体明徴」が唱えられ、皇国思想が興隆して「教学刷新」が叫ばれるようになった。そのため小学校教科書も改変を迫られ、八年に国語読本が、九年に修身教科書が、さらに十年には算術教科書が新しく編纂された。これらの教科書は、低学年の教材取り扱いなどに、児童の心理や生活を重んずる教育上の工夫がなされていて、その面では世界的水準の教科書といわれたが、内容的には満州事変後特に高まった国家主義思想が強く反映していて、軍国日本を鼓吹する教材が多く採り入れられていた。