国民学校令

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昭和十二年七月、日華事変が勃発すると、政府は教育審議会を設置して、当面する情勢に応ずる教育を確立しようとした。その教育審議会の討議によって生まれたのが国民学校制度である。国民学校令は昭和十六年(一九四一)三月一日公布、四月一日から実施され、その日から本市の小学校はもちろん、全国の小学校は一斉に国民学校と改称された。
 国民学校令第一条は「国民学校ハ皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲナスヲ以テ目的トス」と規定されている。「皇国ノ道」を解釈すれば、教育勅語に示された「国体の精華と国民の守る道」ということができよう。すなわち「皇運扶翼の道」である。国民学校の教育は教育全般にわたって皇国の道の修練を目指したといってよい。
 これまでの小学校教育は「児童身体ノ発達ニ留意シテ道徳教育及国民教育ノ基礎並ニ其ノ生活ニ必須ナル知識技能ヲ授クルヲ以テ本旨ト」して、道徳教育と教科教育との二本立てが建て前となっていたのに対して、国民学校では皇国の道という道徳を中核にして教科を統合しようとしたのである。
 このような教育目的に沿って、教育内容の構成も大きく変化した。国民学校における教育内容は、皇国民としての資質に対応する国民科(科目は修身・国語・国史・地理)、理数科(科目、算数・理科)、体錬科(科目、武道・体操)、芸能科(科目、音楽・習字・図画・工作・裁縫〈女子〉家事〈高等科〉)、実業科(高等科のみ、科目は農業工業商業・水産)の五教科をもって編成され、それぞれの教科目が配置された。

写真56 国民学校制定第1年記念の和徳国民学校児童