児童の船沢村農耕地開墾

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二十年(一九四五)五月に至って食糧不足はいっそう深刻になり、小学校児童も食糧増産に駆り出された。県は中津軽郡船沢村の岩木山麓(現弘前市弥生地区)に農耕地を開墾、一般入植者のほかに国民学校児童による食糧増産を図り、弘前市内各国民学校に農耕地を割り当て、中津軽地方事務所を通じて次の通牒を発した。
 一、南瓜増産ニ就キ農商省、県ヨリ移牒
   1、児童一人十本ノ南瓜ヲ植栽スルコト
   2、一本ヨリ一貫(約四キログラム)ノ収穫ヲ目標トシテ其ノ半量ヲ供出スルモノトス
   3、土地種子ハ各自二於テ処置スルコト、但シ既二播種済ノモノモ含ム
 南瓜(カボチャ)を増産してその半分は供出しろ、ただし土地や種子はそちらで手配せよ、という命令である。弘前市から開墾地まで往復二四キロメートルと、歩くだけで大変なのに、さらに開墾作業、まさに重労働である。
 第一大成国民学校五・六年生は二十年八月十五日、開墾地に出かけ作業したが、その帰り終戦の詔勅を聞き、落胆して児童・職員とも道端に腰を下ろしたまま動けなくなったという。児童・教師たちがこのような苛酷な作業に忍従できたのも、戦争という非常事態の認識があったからこそであろう。