昭和六年七月、弘前第三一連隊の對馬勝雄少尉は「現下日本ノ国状ニ対スル観察」をノートに書いた。結論として、日本は日露戦争直前の、つまりロシア革命勃発直前のロシアと共通しているという。第一に、軍指導部が国内情勢を考えずにいたずらに満蒙の占領を考えている。日露戦争の際のロシア軍と同じ轍を踏む。第二に宮中の腐敗、第三に革命的危機包蔵、第四に国内統制作用の弛緩-世相の乱れを挙げる。国政は祭政一致に帰り、国都を移転し国民は私有財産を制限、自給自足経済を原則とし、重工業は国営企業として発達させ、産業経済は国家の統制下に置くなどと主張している。中心の国体論は「人為不純ノモノナシ、自然神ナカラノ道、純乎トシテ純ナル、天行健コレ即チ我国体ナリ」と抽象的である。そして對馬は満州へ出征し、同志菅原軍曹を失った。