終戦

245 ~ 246 / 965ページ
終戦時の佐藤正三の日記
八月十五日(水)晴、くもり
午前 中村さんの畑のいも掘り ねぎ土寄せなど。特高氏、桂氏来る。外諸氏来る。
[正午 陛下大詔渙発の録音放送あり 謹みて拝し奉る。つひに来るべき秋(とき)が来た。聖断下る。無条件降伏、-夢にだにせざりし事態が現実となった。]
今後如何にして皇運を恢弘(かいこう)すべきや。国民一大猛省。あらゆる苦難を克服して最終戦争完勝の一途に一志前進せんのみ。明治維新前にかへった日本民族、いまこそ真の民族魂を振起してこの歴史の汚辱と十年ののちに雪(そそ)がずんば已まず。東連運動の任務いよ/\重大、生命をさゝげん秋正に到る。今は、われと我が人生の一大転機ならざるべからず。歴史をつくるものの苦難いよいよ到る。戦線にある同志、外地にある同志の身上思ひやらるる。勝ちて相見る日を待ちのぞみしに今やここに到る。唯一念皇国の逞ましさ建設に血涙の努力を捧げんのみ。
桂、鳴磯、庭、高沢、山口、工藤、山本、諸兄次々に来る。
廿日連絡会の通知を出す。(二十枚)夕方小枝進、棟方、川村氏等引きつぎ来訪。夕食頃より少し体具合また悪い。叔父宅へ出かける。抹茶御馳走になる。
八月十六日(木)晴
学校と事務所へゆく。学校は廿日まで休み。古川兄留守。原子、高木、平泉兄等引きつづき来る。せつは相変はらず荒田へ手伝ひ、建物疎開は中止でその後仕末。夜和徳分会へ出る。中村先生の刀を拝見。十時就床。東久邇宮殿下に後継内閣組閣の大命下る。赤坂離宮を組閣本部として組閣に着手さる。
どうなるのだろう。どうすればいいのだろう-これが真面目な国民の気もち。もっと強く、逞しく、雄々しく立ち上る勇気を与へなければならない。我々の運動の任務は重い。
八月十八日(上)晴
流言しきりにとぶ。聖断を信奉出来ぬもの多し。思想的、精神的に既に痛嘆にたへぬ混乱を惹起してゐる。これを克服しなければ民族復興、国家再建は出来ぬであろう。