家庭に戻る女性たち

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戦争末期、男性は海外戦地に派遣されたり本土決戦のための国内防衛として各地に配属されたりした。その代替として勤労動員政策に基づき、多くの女性が各職場で働くことになった。例えば青森鉄道管理部に動員された女性たちは、昭和二十年(一九四五)一月現在で約二〇〇〇人おり、全職員の約二割を占めていた。ところが敗戦で男性職員が復帰したため女性職員の多くは退職し家庭に戻ることになった。これは国鉄の方針が極力女性職員の家庭復帰を督促していたからである。そのため同年十一月一日現在、女性職員は二〇〇人となった。戦地に出征した男性たちの補充とはいえ、戦時中に動員された女性たちの役割と功績は大きかった。『東奥日報』でも男性職員と遜色なく活動を続けてきた彼女たちに対し、「長年よく闘つた女子職員の功績は永久に消えないであらう」と積極的に評価している。
 当時の社会風潮として、男性は職場で働き女性は家庭を守るというのが普通の考え方だった。「職業婦人」という言葉もあったが、まだ特殊な響きをもっていた。それゆえ男性職員が職場に復帰すれば、大多数の女性たちは自然に家庭へ戻ったのである。それでも家庭の都合で働かざるを得ない女性は多数おり、なかには家庭の外で働きたいと考えていた者もいただろう。当時の各女性ごとに皆異なった事情があり、職場で働くことに対する意識が異なっていたのはいうまでもない。男性の補充要員として半ば強制的に勤労動員にかり出されたとはいえ、多くの女性が社会進出した事実は重要である。敗戦後も生きていくために働き続けざるを得なかった女性たちを含め、このときの体験があったからこそ、その後の女性が社会進出する素地が固まっていったと考えられよう。

写真106 家庭に戻る女性を報じた『東奥日報