当時の社会風潮として、男性は職場で働き女性は家庭を守るというのが普通の考え方だった。「職業婦人」という言葉もあったが、まだ特殊な響きをもっていた。それゆえ男性職員が職場に復帰すれば、大多数の女性たちは自然に家庭へ戻ったのである。それでも家庭の都合で働かざるを得ない女性は多数おり、なかには家庭の外で働きたいと考えていた者もいただろう。当時の各女性ごとに皆異なった事情があり、職場で働くことに対する意識が異なっていたのはいうまでもない。男性の補充要員として半ば強制的に勤労動員にかり出されたとはいえ、多くの女性が社会進出した事実は重要である。敗戦後も生きていくために働き続けざるを得なかった女性たちを含め、このときの体験があったからこそ、その後の女性が社会進出する素地が固まっていったと考えられよう。
写真106 家庭に戻る女性を報じた『東奥日報』