国の政策を受けて、弘前市でも引揚者の生活援護や住宅供給などを行っている。なかでも弘前市引揚者接待所の設置は、引揚対策として重要な役割を果たした。家族が離散し衣食住に不自由な引揚者にとって、接待所のような施設は必要不可欠だったに違いない。このほかにも多数の復員兵や引揚者が市街に溢れたため、浮浪者が激増し市当局の悩みの種となっていた。浮浪者の収容所としては富田町に慈光荘があった。けれども弘前市出身者だけでなく、県下各地の浮浪者が収容されたため混乱を来していた。弘前市には軍事施設が集中し広大な土地があったため、青森市をはじめとした他市町村の空襲罹災者や引揚者が多数弘前市に集まってきたのである。収容所を建設するにも、逼迫する市の財政では賄いきれなかった。そのため市当局では兵舎を急遽改造して間に合わせの引揚寮を用意している。敗戦後の混乱は一つの地域で解決する問題をはるかに越えていたのである。
写真108 「曙町」と通称された引揚寮地区