農業会の解体と農協の乱立

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農村民主化に関する「GHQ覚書」は、小作人自作農化と、その自作農の再没落を防ぐための農民団体の育成をもう一つの大きな狙いとしていた。GHQは、戦時中に創られた農業会が自主的に農民が組織したものとは異なる官制団体であったために、農業会の存続を前提とする農林省の農協法案を認めず、ようやく第八次案に至って了承した。その結果、新しい農業協同組合法は、農地改革関連法案より一年以上遅れて、昭和二十二年十二月に公布された。農業会は、翌二十三年八月までに解散を求められ、その後に農民の自主性と主体性が発揮でき、組合の設立、加入・脱退の「自由の原則」に基づく新生農協が次々と設立された。県内では多数の農協が設立され、昭和二十四年四月現在で、単協五五四、連合会一四という乱立ぶりであった(『青森県農業協同組合史』県中央会、一九七六年)。
 表26は、「中津軽郡の総合農協名と設立年月日」である。これによれば、農協法公布の翌年(昭和二十三年)内に大半の総合農協が設立されている。特に、農協が多数設立された自治体は千年村が八、清水村が五である一方、船沢村、和徳村など一ヵ所のところもあった。総合農協のほかに専門農協・開拓農協・特殊農協も設立されたが、小規模なものがほとんどのために、昭和三十年代にはその多くが業績不振を理由に解散した(『弘前市農協20年史』、一九八五年)。
表26 中津軽郡の総合農協名と設立月日
市町村名農協名設立年月日市町村名農協名設立年月日市町村名農協名設立年月日
清水村下湯口昭和23年3月2日船沢村船沢村昭和23年3月12日駒越村駒越村昭和23年3月18日
同右悪戸昭和23年3月3日千年村清水森昭和23年3月12日藤代村藤代村北部昭和23年3月23日
清水村小沢昭和23年3月5日東目屋村東目屋村昭和23年3月18日清水村清水村青柳昭和23年3月23日
駒越村駒越村民主昭和23年3月24日豊田村豊田村昭和23年4月15日相馬村相馬村昭和23年5月13日
千年村中野昭和23年3月30日同右二ツ屋昭和23年4月16日弘前市弘前市南地区昭和23年5月17日
同右千年村小栗山昭和23年3月30日千年村松木平昭和23年4月16日岩木町常盤野昭和23年5月17日
藤代村藤代村昭和23年4月2日同右一野渡昭和23年4月16日弘前市弘前市城北昭和23年5月28日
和徳村和徳村昭和23年4月6日岩木村岩木村百沢昭和23年4月22日相馬村湯口昭和23年6月8日
清水村清水昭和23年4月7日大浦村大浦村昭和23年4月23日千年村原ヶ平昭和23年6月24日
堀越村堀越村昭和23年4月7日豊田村豊田第一昭和23年4月23日新和村新和村青女子昭和23年7月12日
相馬村相馬村昭和23年4月9日同右豊田第二昭和23年4月23日相馬村藤沢昭和23年7月26日
西目屋村西目屋村昭和23年4月9日西目屋村砂子瀬昭和23年4月24日裾野村裾野村昭和23年8月11日
岩木村岩木村昭和23年4月9日新和村三和昭和23年4月26日同右裾野村大貝昭和23年8月24日
千年村狼森昭和23年4月9日千年村大和沢昭和23年4月27日同右鬼楢昭和23年9月10日
藤代村石渡昭和23年4月15日西目屋村西目屋村更正昭和23年4月28日相馬村紙漉沢昭和23年9月16日
新和村新和村昭和23年4月15日弘前市弘前市昭和23年4月28日裾野村裾野村十腰内昭和23年10月18日
高杉村高杉村昭和23年4月15日西目屋村西目屋村大秋昭和23年4月30日弘前市弘前第一昭和26年4月3日
同右独狐昭和23年4月15日新和村笹舘昭和23年5月10日岩木町青森県生産昭和27年2月6日
前掲『青森県農業協同組合史』より作成

 販売連合会は、津軽を中心に青森県販売農協連合会が、県南地方を中心に全青森県販売農協連合会が、それぞれ昭和二十三年(一九四八)に設立された。しかし、単協からの連合会委託は少なく、中津軽郡では、清水村、高杉村、堀越村などの経済的力量のある単協は、いずれも自主出荷して県外各地の青果会社と取引を行っていた。さらに、昭和二十四年のりんご景気の崩壊で、連合会委託品の大半は赤字精算に終わり、ドッジ・デフレで各種事業も不振を極め、農林漁業組合再建整備法で両販売農協連合会は昭和二十六年合併するに至った。
 新生農協は、官制の農業会勢力を排し、GHQの支持する「農民の自由なる結合体」を目指す組織であるはずだったが、実際には農業会の資産を継承したことや設立当初からの経営不振の影響により、「農業会の看板の塗り替え」の批判も否定できないのが実態であった。