検定教科書の採用

387 ~ 388 / 965ページ
わが国の教科書は明治三十六年以来、四十数年にわたって国定制度のもとに発行されていたが、昭和二十二年の六・三制の実施とともに、民間編集の教科書制度を採用することになった。連合国軍総司令部は、わが国が国定教科書制度をとり、一種類の教科書を全国の小学校で使用している統制教育を厳しく批判し、一日も早くこれを廃止させなければならないと早くから決定していた。それが六・三制実施とともに断行されたもので、戦後の教育改革の中でも、検定教科書の採用は、最も注目された方策の一つであった。つまり、新教科書は、これまでの教科書絶対からの脱却を図り、「教科書を教える」のではなく、「教科書で学習させる」のであるとした。また、「教科書を」という考え方を、「教科書で」に切り替える必要があるともいわれた。本市小学校検定教科書使用は昭和二十三年四月からである。
 検定教科書制度は教育民主化の最高の措置として、学校現場には歓迎された。教科書が各校教員によって、自由に採択できる方法は、教員の教育的自主性を尊重するものとして喜ばれた。

写真127 文部省検定済教科書

 第一回の教科書採択は徹底した自由採択で、市内各小学校ごと使用教科書は違っていた。しかし、各小学校ばらばらの教科書では、学校間の共同研究や児童学習上に種々の不便があるというので、二十六年五月各学校間の申し合わせで、弘前市内小学校使用の教科書は、同一のものを採択することを申し合わせた。ちなみに第一回の採択教科書は左のとおりである。
 国語  学校図書  「一年生の国語」(学年ごとに六年生まで変わる)
 書き方 学校図書  「一年生の書き方」(学年ごとに変わる)
 社会  東京書籍  「新しい社会」
 算数  東京書籍  「新しい算数」
 理科  二葉    「理科」
 音楽  教育出版  「標準小学校音楽
 図工  光村図書  「小学校の造型」
 ローマ字 開隆堂  Romazi kyositu