高校進学の問題

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開校後、各校の父兄たちは、学校環境の整備や独立校舎建設のため、学校ごとに期成同盟会や父兄会を結成し、学校教育の充実と促進を側面から積極的に援助支援していたが、二中父兄会の委員会記録に次のような事項が見える。
昭和23・6・5 現三年生は来年四月、どこの高等学校に志願できるのかという問題が話題にのぼる。
同 23・7・15 現三年生の明年四月の進学志望校の正確な調査。高等学校で来年度の一年生を受け入れる余裕がないとすれば、その一年間を二中で聴講生としてでも預ってくれるよう手配されたし。

 中学校発足と同時に、旧高等小学校青年学校普通科修了者の希望による中学校二年や三年に編入学した者が六四七人あった(二年五二一人、三年一二六人)。これら新中卒業生の進路をどうするかが、大きな問題となっていた。
 中学校を卒業したら、高等学校へ進学するのが筋道ではあるが、新制高等学校は昭和二十三年四月に発足したばかり、旧制中学校五学年が学び、同年度から希望者による高校三学年も加えて、新制高校には実質六学年が学んでいる(高等学校発足後三年間は、中学校を併設していた)。
 弘前市の場合、県立三校(弘中、弘工、弘高女)、市立二校(弘商、市立高女)、私立五校(東奥義塾、弘前女、弘前家政、柴田女実、大平中)が新制高校として発足したが、各校とも旧制中等学校時代からの在籍者や進級者で満杯で、算術的計算をすれば、昭和二十五年まで高校生の募集は不要となってくる。前記二中父兄会での心配が、表面化するのも当然のことであった。つまり新制中学校の卒業生は二十五年まで高校進学を閉ざされるわけである。
 新中学校第一回生(昭和二十二年度)の進学状況についての記録はないが、第一回生はそのほとんどが就職、または家業従事で、進学希望はごく少数であったらしい。県では「公立高等学校生徒募集人員に関する告示」により、昭和二十三年四月入学の生徒若干名を募集したが、弘前の場合「県立弘高が第三学年若干名、市立女子高が第一学年と第三学年若干名」となっている。このように、この四月開校した県内新制高等学校は、生徒募集を欠員補充のための補欠募集程度にとどめたようだ。
 昭和二十三年度の新中学校第二回卒業生は、一回生より数も多く、進学先について改めて問題となったが、弘前市の場合、弘高、弘工高を除き、次の県立、市立、私立高校が生徒募集し、入学試験を実施した。
 △県立女子高校 一年男女各五〇人、二・三年若干名、△市立商高 男二一〇人、△市立女子高校 一年八〇人、三年二五人、△私立東奥義塾高校 一年男女一五〇人、△私立聖愛高校 一年三〇人、二・三年若干名、、△私立鷹ヶ岡女子高校 一年普通科・被服科各五〇人、両科の二・三年若干名、△私立柴田女子高校 普通科四〇人、家庭科・別科各二一〇人
 男子の県立高校志望者は、この年から男女共学となった県立女子高校(現中央高校)に受験するしかなかったが、この募集によって、前述の二中父兄会での心配も解消されることになった。