合併後の弘前市政を物語る場合、自衛隊の誘致をめぐる紛糾と争いは避けて通れない問題であろう。もちろん自衛隊問題は、憲法第九条を持ち出すまでもなく、今もなおその存在自体に関する議論が後を絶たない。
敗戦で日本はアメリカを中心とする連合軍から、陸海軍部隊の武装解除と組織の解体を強制された。世界で初めて戦争放棄を盛り込んだ日本国憲法をもつことにもなった。けれどもアメリカの極東政策が逆コースを辿ったことや、進駐軍の撤退に伴う自国の防衛措置が必要だと痛感する政府の動きもあり、日本は再び自衛隊という名の軍隊を組織し、再軍備の路線を選択することになった。当然その措置に対しては、国内はもちろん海外からもさまざまな議論を呼んだ。その意味で自衛隊問題は極めて国家的規模で論じられる性質をもっていた。
自衛隊を設置するに当たり、各地で賛否両論、議論が噴出した。弘前市でもそれは同じだった。ここでは誘致をめぐり市議会に提出された請願書の内容を中心に、当時市で紛糾した自衛隊問題を概括しておこう。