商店街振興組合法の成立

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昭和三十七年(一九六二)五月に商店街振興組合法が成立し、また、同年八月から施行された。この法律は商業従事者が待ち望んでいたものであった。同法の施行について、『弘前商工会議所会報』は次のように伝えている。
 通産省は商店街振興組合法の施行に関する政令の範囲について検討を進めていたが九日その案を発表、十日の閣議を経て八月十五日から同法を施行するとともに、「商店街振興組合法施行令」ならびに「商店街振興組合等登記令」を同日付をもって公布した。これによって従来とかく問題視されていた「設立認可」の要件については、全国・都道府県・五大市ならびに東京都の区を地域とする地区の連合会は、商工会議所又は商工会の組織を考慮することなく設立が認可されることが明確になった。
 なお八月一日福田通産相が名古屋市へ赴いた際、愛知県、名古屋市、名古屋商工会議所合同での歓迎会のさい山田商店街連盟会長は中小商業サービス(商店街)育成に関し次のごとく要望するところがあった。
  (中略)
 ご高承のとおり、さきの国会で成立をみました日本商業史上かつて例のない「商店街振興組合法」の制定につきましては、かねてより格別なご尽力とご高配をたまわりまして心から感謝いたします。
 幸い同法も八月十七日から正式に発効施行されることになり、われわれ商店街関係者の喜びもひとしお大きいのでありますが、残念ながら法の実施にともなう政府の予算上の対応策が全然考慮されておらず、わが国の商業史上はじめてといわれるすぐれた振興育成立法でありながら画竜点睛を欠くうらみが大きい現状であります。
 何分にも一千余万人の全国商店街関係者が長年の間、悲願として夢にまでみた法律が実現した次第でもありますので、どうか早急に国家予算の面でも法の精神を生かした措置をたまわり、政府財政の許すかぎりその裏付け方をご高配くださいまして、これまで長らく政治の恩恵に浴せなかったわれわれの苦境打開に全幅のお力添えをいただきたくお願いに及ぶ次第であります。
(『弘前商工会議所会報』六七)

 これによって商店街関係者の喜びがわかるが、弘前市においてもこれより以前から商店街振興の組織があり、活動を続けていた。特に中土手町協商会はこの時点で三〇年間の歴史を持っており、下土手町振興会も結成されていた。これらの会は商店街振興組合法の成立以前から商店街の諸問題につき、議論を重ねていた。このうち、中土手町では法案の成立後、昭和三十九年(一九六四)に組織が変更された。この点につき、『弘前商工会議所会報』は次のように説明している。
 弘前市中土手町商店街では、商店街振興組合法に基づく組合を結成、二月十六日これが創立総会をひらき正式に発足した。
 中土手町商店街の重たった人々がこの組合組織を思いたったのは、勿論商店街振興法が公布されたことによるが、中土手町商店街の近代化の構想は早くからもたれていたところで、その動機の主なるものにアーケードを整備するということがあった。昭和三十四年一月、中土手町協商会(今回の振興組合の母体となった中土手町商店街振興のための団体で町会とは別団体)では、協会の予算五〇万円のなかにアーケード研究費として十万円を計上した外、この総会には市長を招き市の都市計画をたすねかつ商店街づくりについて強力に働きかけるなど、仲々に高い意欲をしめしていた。然しアーケードを整備するにしても、個々の商店の利害必ずしも一致しているわけでなく、この意見調整にも、協会役員各位はなみなみならない苦労したようである。こうしたさなかに商店街振興法が公布となり、また都市計画に基づく道路幅員の拡充も全町内あげて私有地を歩道に寄附するという思いきった提案が実を結び、アーケードの建設のめどが確立するに及んで、中土手町を一挙にショッピングセンターたらしめる構想を実現するために、商店街振興組合を結成にふみきったところである。
 組合の事業はアーケードの建設をはじめ、店員宿舎、駐車場の設置など商店街近代化のために早期に実現をはからなければならない問題が山積しているが、中土手町商店街振興組合はさきにのべたごとく、同町協商会が中心であるだけに、こうした点の運営担当の人事は、同協会が昭和九年以来の組織によって、運営上の最大の力となる人の和づくりが出来ておるから、少しの不安もないところである。
 道路工事も国庫補助金の関係で、一挙に完成は無理であるようであるが、第一期予定は大体完了したようであるので、全町の道路完成もいそがれるだろうし、これとあいまっての諸事業が実現のめどあるとのことであるから、吾々の期待していた中土手町商店街のあらたまるのも、もはや町内の問題だけになったことをよろこぶものである。
(『弘前商工会議所会報』八七)

 このように、商店街振興会は法的な基礎を得て、活動を続けていった。中土手町商店街が、商店街振興組合法の成立後に振興組合を再編して計画した事業の一つであるアーケード建設工事は、昭和三十九年(一九六四)に開始され、昭和四十年十二月に竣工式を行った。アーケードの建設は二期に分けて実施され、二年がかりの事業で完成したのである。

写真162 中土手町アーケード開通(昭和39年)