自家用車の普及に伴う鉄道利用客の減少に歯止めをかけるため、輸送サービスの質的向上を目的に、昭和五十年十一月一日から弘南鉄道弘南線では、東北地方の私鉄では初めての快速列車の運転を開始した。これにより弘南黒石-弘南弘前間は従来に比べ七分短縮され、二四分で結ばれることになった。
昭和五十七年六月には東北新幹線が盛岡-大宮間で開業したが、盛岡以北の着工のめどが立たないままでの開業ということから青森県内の反応は冷ややかで、弘前駅には「祝東北新幹線開業」の垂れ幕一本が掲げられただけで、市内においても特に関連した催しは見られなかった(同前No.五一五)。
一方、昭和六十一年六月には東北縦貫自動車道青森線の碇ヶ関-十和田(秋田県)間の開通により、青森-浦和(埼玉県)間六七四・七 は七時間半で直結されることとなり、東北新幹線の開業とは対照的にお祝いムード一色に包まれた(同前No.五一六)。