狂乱物価の諸相

686 ~ 686 / 965ページ
昭和四十八年は狂乱物価の嵐が吹き荒れた年だった。GNP世界第二位、大量生産、大量消費時代で豊かな文化生活を楽しんでいると信じきっていたのが、気がついたら〝ナイナイヅクシ〟、灯油、トイレットペーパーなどの日用品をはじめ新築中の建材-とくに水道用の塩化ビニールパイプ、トタン、電線は極端な品不足、戦時中並みの配給制度に逆戻り。一生の夢-マイホーム実現が目前と思ったのもつかの間、このままでは建築中止せざるを得ない、と泣きべそをかく家主、業者。弘前市でも小沢地区にヶ丘団地を造成するなど郊外にどんどん住宅が建てられていた時期だった。
 このパニックは実は日本が、世界が一九七〇年代初頭、その枠組変換への始動期に入っていたことを感知してなかったことによる。

写真217 造成が始まった頃のヶ丘団地(昭和48年)