突然の転任

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ところが、この平穏な教員生活が続くかに見えたが、そうはいかなかった。なぜか、九月二日に弘前を後にして秋田県立横手高等女学校へ転任してしまうのである。
 この突然とも思える転任について、弘前市出身で直木賞作家長部日出雄は、平成二年十月十一日、弘前文化センターで開催された講演会で、それは善蔵との訣別である、と断言した。長部は、善蔵が洋次郎にその出会いからいかに迷惑をかけたか、経済的負担をそして精神的な圧迫をかけたかを「金魚」をはじめ洋次郎の作品を引用しながら論証し、弘前にいる限り善蔵はいつまた自分を頼ってくるかわからない、弘前以外であれば善蔵も来ないだろう、その洋次郎の思いが転任の理由になる、と語った。
 とすれば、前述した「この無法無残な生活に耽溺する先輩の影響から、いつか時機をみて遁走しなければならない」というその時機とはまさにこの時、すなわち善蔵が〈襲来〉した大正十四年とみることができる。
 さらに、長部日出雄は「金魚」について重大な発言をしている。
 繰り返していうが、『金魚』は完全にフィクション化されており、長篇小説『若い人』の原型と見られる点でも、注目すべき作品だ。善蔵の帰郷当時、石坂が勤めていたのは県立弘前高女だが、作中ではミッション女学校、体躯(く)巨大な外国婦人の校長がミス・ケート、理知的な女性の同僚教師がミス田口となっていて、『若い人』とほぼおなじ構図であり、構想されたのが同時期であったようだから当然かもしれないけれど、都会的な洗練味を意識した文体と、近代的でユーモラスでかつ理屈っぽい会話も共通している。
 『金魚』から無頼の作家野村氏の存在を引くと、『若い人』になる。このことの意味は大きいとおもう。郷里の女学校の教師となった最初の夏に、たまたま帰郷した善蔵の疾風怒濤(どとう)に遭遇していなければ、石坂文学が後年とはまた別の色彩を帯びていたのではないか、と想像するのは不可能ではない。
 気質的とおもわれる合理性と近代性からして、いずれはおなじ道に進んだのかもしれないが、ひとつの重要な契機としては、文学青年時代に心酔していた葛西善蔵と訣別し、彼を反面教師とすることによって、わが国には珍しい市民的な文学、向日的な明るい青春文学の作家石坂洋次郎が誕生したのである。
(「中央公論」昭和六十一年九月特大号)

 善蔵との訣別は、むろんその作風との訣別をも意味する。そういえば、作中で坂口は野村氏に「貴方は文学に何を求めていられるのですか」と問い、「貴方は真実に対する正しい認識を欠いているのではないか」と断じながら「貴方の現在の立場を蹴とばすことによってのみ僕のスタートの弾力が生れると言っても差し支えないのです」と言い切る。
 善蔵と洋次郎はともに弘前市出身。その生まれ故郷で展開された〈訣別のドラマ〉を、読み手は「金魚」に看て取ることができる。