鎌田の膨大な著作群のなかに、葛西善蔵の生涯を描いた作品がある。『椎の若葉に光あれ-葛西善蔵の生涯-』(平成六年 講談社刊)である。なぜ、葛西善蔵なのか。鎌田は次のように告白している。
五〇歳をすぎて、偽善とまでいう必要がないとはいえ、なにか自分とはちがう自分になっているようで、落ち着かなくなっている。葛西の愚直なまでの率直な強さが、ようやく理解できるようになったのであろう。身を捨てた彼は、自堕落のようにみえるが、凝縮して輝やいている。
すなわち、鎌田は「外にばかりむけていた眼を、自分にむけなければならないのを感じはじめていた」のである。つまり、自己確認のために善蔵を標的にしたということである。
鎌田は善蔵の身勝手さもエゴイズムも認めたうえで、その生涯を、つまり善蔵がいかに芸術を実生活に優先させたかを、多様な資料と証言を駆使しながら実証していく。そのプロセスで「僕は小さな作家であっても正直に歩んで作家として純粋に生きて行きたい」という善蔵の揺るぎない信念を発見するのである。「葛西の愚直なまでの率直な強さが、ようやく理解できるようになった」ということである。
それにしても、鎌田の郷土の先人に向ける眼差しは優しい。陸羯南の項でも触れたが、後輩が先輩を高く評価するだけではなく、そこから生きる指針を獲得しているのである。
さらに、鎌田は太宰治についても書いている。『津軽・斜陽の家-太宰治を生んだ「地主貴族」の光芒-』(平成十二年 祥伝社刊)である。平成十五年に同書は講談社文庫から再刊された。解説は三浦雅士が担当している。結びの一節を紹介する。
ここにも〈津軽の文学者の関係性〉を看て取ることが、確かにできる。しかも、その絆は、やはり強い。
写真262 鎌田慧