音楽教育の先達

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楠美恩三郎(くすみおんざぶろう)(明治元-昭和二 一八六八-一九二七)は東奥義塾に学び、東京音楽学校師範部を卒業、同校でバイオリンと作曲を教え、邦楽調査員を兼ね、平家琵琶の調査を担当。明治四十三年の『尋常小学唱歌』の編集に当たっては、作曲部門の編集委員を務めた。
 傍島万年(そばじままね)(文久二-昭和二 一八六一-一九二七)は傍島正心・太兵衛の娘。青森県女子師範学校を経て、東京女子師範学校を卒業、音楽取調掛の第一回府県派出伝習生として音楽を学んだ。明治十八年八月から弘前中学校、青森師範学校で音楽を教えた。弘前市の小学校音楽を初めて教えたのが和徳小学校であり(明治二十年五月)、傍島万年に学んだ訓導山中嵯峨之助(やまなかさがのすけ)が教師であった。

写真289 傍島万年