目次
/
新編弘前市史 通史編5(近・現代2)
/
第八章 近現代弘前市の文化活動
/
第三節 音楽界の様相
/
五 洋楽・学校音楽・軍歌
音楽教育の先達
912 ~ 912 / 965ページ
楠美恩三郎
(くすみおんざぶろう)(明治元-昭和二 一八六八-一九二七)は
東奥義塾
に学び、東京
音楽
学校師範部を卒業、同校でバイオリンと作曲を教え、
邦楽
調査員を兼ね、
平家琵琶
の調査を担当。明治四十三年の『尋常小学唱歌』の編集に当たっては、作曲部門の編集委員を務めた。
傍島万年
(そばじままね)(文久二-昭和二 一八六一-一九二七)は傍島正心・太兵衛の娘。
青森県女子師範学校
を経て、東京女子師範学校を卒業、
音楽
取調掛の第一回府県派出伝習生として
音楽
を学んだ。明治十八年八月から
弘前中学校
、青森師範学校で
音楽
を教えた。弘前市の
小学校
で
音楽
を初めて教えたのが
和徳小学校
であり(明治二十年五月)、
傍島万年
に学んだ訓導
山中嵯峨之助
(やまなかさがのすけ)が教師であった。
写真289
傍島万年