大正15年(1926)度

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28シーズン目

【協会】 日本ラグビー蹴球協会創立 関東協会、西部協会の創立により日本協会設立の機運が熟し、「大正15年11月30日の理事合同会議で、めでたく多年の懸案たる日本ラグビー蹴球協会は成立したのである。(中略)日本協会の会長には男爵高木喜寛が推薦されたが、一応副会長ということとし、名誉会長に田中銀之助を据えた」(『日本ラグビー史』P203)。/日本協会理事の選任 日本協会の初代理事会は下記の人々によって構成された。名誉会長 田中銀之助、副会長 高木喜寛、理事長 田邊九萬三、杉本貞一1)、書記長 橋本壽三郎、会計役 香山蕃、理事 渡邊民三郎、久富達夫
【大学】 早慶戦が初めて神宮競技場で挙行され、大学ラグビーは有料試合となる 大正15年11月23日の第5回早慶戦が初めて神宮競技場で行われ、8−8の引き分けとなり観客を沸かせた。これ以降、大学ラグビーの主要試合は神宮競技場を使用し有料となった。「入場料スタンド席1円、芝生席50銭」と『片岡メモ』に残されている。/慶応義塾、国内チームに無敗で大正時代を終える 慶応は1899年の創部以来、明治、大正の時代、国内では指導的立場を保ち続け、新しく誕生したチームのすべてが慶応にチャレンジし目標にする時代が続いた。大正の後期にはかなりの試合が行われるようになったが、慶応はラグビールーツ校として日本チームに無敗を誇り、優勝を決める必要もなくチャンピオンであり続けた。
【その他】 大正から昭和へ、中学、高専大会中止 大正天皇が12月25日に崩御され、以降予定されていた試合がすべて中止となり、第10回全国中学大会および第2回全国高専大会も中止された。当日予定されていた一高グラウンドでの東大京大戦が中止になり、「ここまで東大は全勝、早大慶大との試合を残しているが、京大も全勝で迎えた試合の中止は誠に残念」と『東大ラグビー史』P66に、無念の心中を述べた記述がある。/大正時代のラグビー 大正時代に入って定期戦が関東、関西にまたがって定着してくる。関西はチーム数が少なくホーム&アウェーで年2回の対戦が多い。相手不足もあり三高はKRACと同一シーズンに3回も対戦しているが、本書では明確に2軍と記されている以外は定期戦に数えた。関西ラグビークラブやAJRA(関東ラグビークラブ)、大阪高商、京都一商その他のチームも活躍しているが、主要試合からは割愛した。
 主要試合を列挙した理由は、明治・大正の時代にラグビーを始めたチームがどのような経過を経て成長していったかを知るためだ。昭和の時代に入るとラグビー界のスケジュールがまとまりを見せてくるので、主要試合の列挙は省いた。
その他の主要試合
〈関東〉
T15(1926).9.24早大63−0法大
G:高円寺R:本領信治郎第1回定期戦
T15(1926).10.6早大36−0東京高師(現筑波大)
G:戸山原R:橘広第1回定期戦
T15(1926).10.20早大31−0●商大
G:戸山原R:橋本壽三郎第4回定期戦
T15(1926).10.26○慶応義塾34−5●立大
G:三田綱町R:橋本壽三郎第1回定期戦
T15(1926).10.31●関東OB3−11○関西OB
G:神宮競技場R:橋本壽三郎第11回
T15(1926).11.4早大31−5●立大
G:立大R:馬場二郎第2回定期戦
T15(1926).11.5○慶応義塾19−3明大
G:三田綱町R:馬場二郎第3回定期戦
T15(1926).11.11早大12−0明大
G:成増兎月園R:清瀬三郎第4回定期戦
T15(1926).11.19明大3−0●商大
G:成増兎月園R:早川郁三郎第2回定期戦
T15(1926).11.23△慶応義塾8−8早大
G:神宮競技場R:馬場二郎第5回定期戦
T15(1926).12.4○慶応義塾11−0YCAC
G:不明R:不明第25回対戦
T15(1926).12.5東大8−0明大
G:成増兎月園R:赤星第4回定期戦
T15(1926).12.10東大17−5●商大
G:石神井R:馬場二郎第3回定期戦
〈関西〉
T15(1926).4.25京大32−0九大
G:九大工学部R:不明第1回定期戦
T15(1926).10.9三高9−13京大
G:三高R:巌栄一第8回定期戦
T15(1926).11.20京大3−8○KRAC
G:神戸東遊園地R:アランス第4回定期戦
T15(1926).11.23三高3−25同大
G:三高R:竹上四郎第15回定期戦
T15(1926).12.5同大7−8京大
G:京大R:竹上四郎第4回定期戦
T15(1926).12.15三高3−17京大
G:京大R:香山蕃第9回定期戦

1) 杉本貞一は肩書きがないまま田邊九萬三と列記されているが、関西担当という意味を持たせてのものと考えられる。