昭和5年(1930)度

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32シーズン目

【協会】 台湾協会が発足 5月に台湾ラグビー協会が西部協会の支部として発足した。/関東協会レフリーソサイエティー設立 9月2日に関東協会レフリーソサイエティーが設立された。「協会機能の一つとして、関東協会にレフリー・ソサイエティーが、昭和5年8月に組織された。初代の幹事には香山蕃、橋本壽三郎、秋山信好、清瀬三郎、奥村竹之助、北野幸也、目良篤、兼子義一がその名を連ねている」(『旧機関誌』Vol.1-1)。/日本協会機関誌『ラグビー』創刊 昭和5年10月に初代『機関誌』(以下『旧機関誌』)が創刊されたが、残念ながらVol.9-2号までの全27巻で休刊のやむなきに至った。採算に乗らなかったのがその理由であった。
【代表】 日本代表カナダ遠征1930 香山蕃監督に率いられた日本代表チームが、8月17日から10月15日にかけてカナダへ本格的な海外遠征を行った。日本ラグビー界にとって世界との交流がスタートした画期的な年となった。詳細は国際交流史に譲るが、7戦して6勝1分という堂々たる戦績で成功を収めた。
★1 1930.9.24
【大学】 慶応初の全国制覇 明治、大正の時代に無敵の王座を独占してきた慶応は、追随してきた各大学の目標とされ苦戦したが、昭和の新形式スケジュールのなかで、ようやくこの年全勝で関東を制し、第4回東西大学王座決定戦で関西勝者の同大を17−0で破り全国制覇を遂げた。/関東は慶応、関西は同大が初優勝 第3回関東大学対抗戦は慶大が4戦全勝で2年ぶり2回目の優勝、第4回関西大学対抗戦は同大京大関西学大を下して初優勝を遂げた。
【地域】 第4回東西対抗で関東が13−8で関西を振りきり4連勝した。
【その他】 中学は京城師範が初制覇、高専は東京高師 第13回全国中学大会に京城師範(朝鮮)が初優勝を遂げた。京城師範の三連覇を皮切りに台北一中(台湾)、倍材高普(朝鮮)、撫順中(満州)などの外地チームが日本勢を圧倒する時代が23回大会まで続く。第6回の全国高専大会は東京高師(2年連続2回目)が旅順工大予科(満州)を38−0で退けて連覇を遂げた。
【セブンズ】 第1回関東協会主催セブンアサイドの大会開催 4月3日に第2回学士ラガー7人制大会が、文部省の後援により神宮競技場で開催された。また4月28日に第1回関東協会主催7人制大会が東大駒場グラウンドで行われた。中学の部、青学中9−3慶応普通部、大学の部、慶大A9−6明大A、実業の部、三菱クラブ23−0東京電気。
【国際】 3月28日~4月9日東京高師(現筑波大)が満州遠征(2勝1敗)、4月1~7日に立大が朝鮮遠征(2勝)、1月に関西大台湾遠征(3勝)を実施した。1月2~9日には南満州医大が来日(1勝2敗)した。