昭和30年(1955)度

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57シーズン目

【協会】 田邊九萬三会長逝去、香山蕃が会長に就任 大正15年(1926)11月30日、日本蹴球協会創立以来29年間にわたって理事長、会長として日本のラグビーを牽引してきた、第2代会長田邊九萬三が逝去され、6月15日秩父宮ラグビー場において日本協会葬が営まれた。第3代会長に香山蕃が推挙され、理事長に脇肇が就任した。
【ルール】 「ペナルティキックは5ヤード以上蹴り進めなければならない」、防御側は「すばやく10ヤード下がらなければならない」と定められた。
【代表】 日本代表、豪州学生代表と3テスト 日本代表豪州学生選抜を迎えて九州、関東、関西でテストマッチ3試合を戦った。北島忠治監督が指揮をとったが、全明大が金星を挙げた相手に、日本代表は接戦したものの勝利を挙げることはできなかった。主将は第1テスト堀博俊、第2テスト藤井厚、第3テストを土屋俊明が務めている。
★121956.3.4日本代表14−16豪州学生選抜平和台
★131956.3.21日本代表8−19豪州学生選抜秩父宮
★141956.3.25日本代表6−19豪州学生選抜花園

【大学】 慶大10年ぶりの全国制覇 第26回東西大学王座決定戦は、慶大が6−0で同大を下し10年ぶり3回目の全国制覇を遂げた。日大は関東で全勝したが、慶大同大との対戦がなく涙をのんだ。/第6回朝日招待試合には日大が出場したが、九州代表に10−29で敗れた。日大慶大に試合を申し込んだが、慶大は期末試験を理由に断った。これによりスケジュール問題が再燃した。/日大ラグビー部アサヒスポーツ賞を受賞 関東大学対抗戦で慶大とともに全勝した日大が、アマチュア最優秀団体としてアサヒスポーツ賞を受賞した。ここでも関東大学スケジュールの不自然さが浮き彫りになった。/関東は慶大日大が優勝、関西は同大、九州は久留米大 第26回関東大学対抗戦は慶大(10年ぶり4回目)・日大(初優勝)の対戦なく両者とも全勝優勝、第27回関西大学対抗戦は同大が5戦全勝で4年連続10回目の優勝、第5回九州大会は久留米大が28−3で宮崎大を破り初優勝を達成した。
【社会人】 八幡製鉄が連覇 第8回全国社会人大会は八幡製鉄が24−5で近鉄を下し、2年連続5回目の優勝を果たした。社会人は八幡・近鉄時代に入り、両者の優勝争いは熾烈を極めラグビー人気を盛り上げていく。
【地域】 三地域対抗は3すくみ 第9回三地域対抗は3すくみで優勝預かりとなった。/学生東西対抗は関東の8連勝 第10回学生東西対抗は37−11で関東が勝って8連勝。
【その他】 大学大会は甲南大、高校は秋田工が優勝 第6回全国大学は甲南大が16−8で三重大を破り初優勝。第35回高校大会は秋田工が14−0で保善高に勝って3年ぶり8回目の優勝を遂げた。/国体成年は福岡が4連覇、少年は熊本と群馬が優勝 第10回神奈川国体は横浜市を会場に行われ、成年の部は福岡県(全福岡)40−0で兵庫県(全兵庫)を破って4連覇を果たしラグビー福岡の名を高めた。少年Aは熊本県(熊本工)が6−0で兵庫県(関西学院)を、少年Bは群馬県(高崎高)が12−0で茨城県(水戸農)を破ってそれぞれ優勝した。
【国際】 豪州学生選抜が来日 豪州学生選抜が来日し8勝1敗の成績で帰国した。全明大が12−11で豪州学生を破り気を吐いたが、日本代表は豪州学生に3連敗を喫した。その他の対戦は全早大11−34、日大5−21、関西代表14−36、全同大9−41、全慶大14−38。豪州学生はこのほか練習試合を2試合行い3月22日にYCACを53−0、24日に関東OBを39−0で破っている。