昭和45年(1970)度

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72シーズン目

【協会】 RFU100年会議に金野滋、大西鐵之祐が出席 イングランド協会(RFU)は発足100年を期して[RFUの正式な発足は1873年]、ラグビーの普及・発展を促進するため、9月23日からトゥイッケナムで英国ラグビー100年会議を開いた。日本から金野滋理事長と大西鐵之祐理事が出席した。「集まった国々は五十ヵ国余、お互いにラグビーをやっていることすら知らず、此の会議で初めてその事実を知り合うという状況であった」(『機関誌』Vol.20-2号P3金野滋)。各協会の代表がラグビーの普及・発展のため各部門にわたり協議がなされた。ラグビー界において世界的な会議が行われたのはこれが初めてである。
【ルール】 ダイレクトタッチの規制が国際ルールとして採用された。
【選手権】 早大2回目の日本一 第8回日本選手権で大東和美主将率いる早大が、新日鉄釜石に30−16で快勝、5年ぶり2回目の日本一を獲得した。
【大学】 早大が4回目のチャンピオンに輝く 第7回大学選手権で早大日体大に14−9で雪辱し、2年ぶり4回目の優勝を遂げた。/対抗戦は早大、リーグ戦は法大、関西は天理大が優勝 第41回関東大学対抗戦は早大が全勝で2年ぶり15回目の優勝、第4回関東大学リーグ戦は法大が全勝で2年連続3回目通算7回目の優勝、第42回関西大学リーグは同大天理大に敗れ13連覇が潰え、天理大が全勝で初優勝を飾った。/九州は福岡工大6連覇 第20回九州大会は福岡工大が51−5で宮崎大を破り6年連続6回目の優勝を果たした。
【社会人】 釜石とリコーが双方優勝 第23回社会人大会では、新日鉄釜石リコーが6−6で引き分けて双方優勝、抽選で釜石が日本選手権へ出場した。/関東社会人はリコー 第11回関東社会人リーグはリコー東京三洋40−19で勝ち初優勝。/関西はトヨタ自工、三菱京都が双方初優勝 第13回関西社会人Aリーグはトヨタ自工と三菱自工京都が5勝1敗でともに初優勝。
【地域】 第25回学生東西対抗は関東が50−14で22回目の勝利を収めた。/第21回の朝日招待は九州代表が27−21で日本学生代表代表を下し2年連続8回目の勝利を収めた。
【その他】 地区対抗は名城大福岡大、教育系は鹿児島大、高校は盛岡工が優勝 第21回地区対抗は名城大福岡大が11−11で優勝を分け合った。第6回全国教育系大学大会は鹿児島大が16−5で高知大を破り3連覇。第50回全国高校大会は記念大会として50校が参加しシード制を初めて採用した。盛岡工が20−9で天理高を破り5年ぶり2回目の優勝を成し遂げた。/全国高専大会が復活 昭和24年の学制改革により、地区対抗に組み込まれて中断されていた高専大会の復活が要望され、日本協会は新しい学制による全国高専大会を開催することとした。第1回大会は天理市で行われ、北九州工専が15−5で大阪府立工専を下して優勝した。/国体は成年が東京、少年は秋田と岩手、教員は岐阜が優勝 第25回岩手国体は盛岡市で開かれ、成年の部は東京都(全東京)が19−17で岩手県(新日鉄釜石)に勝ち優勝。少年Aは秋田県(秋田高)が27−8で愛媛県(新田高)に勝ち、Bは岩手県(全岩手)が18−0で大分県(大分舞鶴高)に勝ちそれぞれ優勝した。教員の部は岐阜県が優勝した。
【国際】 第1回高校日本代表カナダ遠征(3勝2敗) 日本協会は高校大会50周年を記念して、初めて高校代表チームを編成し、3月20日~4月8日に第1回の海外遠征(カナダ)を行った。この遠征を契機に昭和50年度以降継続的に高校日本代表の海外遠征を実施し、多くの代表選手を輩出している(資料編『高校日本代表海外遠征』参照)。/6月、早大韓国遠征(2勝2敗)。/12月、日本薬科大台湾遠征(4勝)。/2月、台湾師範大来日(4敗)。/2月、エーコンクラブ香港遠征(2勝1敗)。