「信濃国のはじまり」のはじまり
弥生時代「赤い土器のクニ」から古墳時代「シナノのクニ」へ
弥生時代に伝わった稲作は、篠ノ井(石川条里遺跡)や若穂(川田条里遺跡)など現在まで続く水田の原風景を形づくり、「箱清水式」と呼ばれる赤く塗った土器に象徴される独自の文化圏を出現させました。共通する器の使用に加えて、鉄や銅のブレスレット、鹿角製の柄を持つ短剣、円い墓への単独埋葬など、一大「文化圏」を形成し、「赤い土器のクニ」と呼ばれています。
古墳時代になると水田を望む山の上に川柳将軍塚古墳(篠ノ井)や土口将軍塚古墳(松代)、和田東山古墳群(若穂)などの大型前方後円墳が築造され、一般民衆とはかけ離れた「王」が登場します。弥生時代の「赤い土器のクニ」は、倭王権とのつながりを背景に、「王」が治めた「シナノのクニ」へと大きく形を変えていきます。
独自の積石塚古墳文化
古墳時代の後半期になると、王墓である大型の前方後円墳の築造地域は下伊那地域へと移り、長野地域では築造されなくなってしまいます。千曲川流域を中心とした「シナノのクニ」が南に拡大し、古代「信濃国」の範囲が明らかになります。
一方、前方後円墳が造られなくなった長野地域では、大室古墳群(松代)に代表される積石塚古墳が築造され始めます。土を盛って造られる一般的な古墳と異なる積石塚は、菅間王塚古墳・竹原笹塚

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