松代城下町に伝わる武家文化
松代藩の成立と真田家の武家文化
松代城は、甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信による川中島の戦いの際、武田側の築いた海津城がそのはじまりです。その後城下町が整備され、松代は北信濃支配の政治拠点として重要な役割を担うようになりました。
真田家は、真田信之が上田から松代へ移ってきて以降、約250年間にわたり松代藩主をつとめました。真田家伝来の大名道具は真田宝物館に収蔵されており、甲冑や刀剣といった武具や、屏風・掛軸などの書画、お嫁入りの道具など、華やかな武家文化を今に伝えています。
水の利用と庭園文化
松代は、広大な水堀で囲まれる松代城を中心に、千曲川の支流となる小河川の扇状地上に町が造られています。城下町には水路網が張り巡らされ、「水路内へ洗濯物等を浸しておくこと」など水を汚す行為は松代藩の水道奉行によって禁止されていました。
武家屋敷には、周囲の山並みを借景とする庭園があり、中央に泉水(庭池)があることが一般的でした。各家の泉水は、「泉水路」と呼ばれる特徴的な水路によって結ばれ、観賞目的以外にも、防火用水や菜園等への水やり、冬の融雪など、生活に密着して利用されました。
城下町の寺社と祭礼
松代には真田家が上田から移ってくる以前から続く寺社や、真田家にゆかりのある寺社など多数の寺社や祭礼が今も残っており、松代地区の歴史文化を生み出しています。また、長國寺の真田信之霊屋をはじめとして、西楽寺の真田信重霊屋、大英寺の大蓮院霊屋など真田家の先祖を祀る建物が複数現存していることも特徴の一つです。
城下町の祭礼として町人による天王祭(祇園祭)があります。町ごとに舞台や山車を繰り出し、最後に松代城の大御門前で「大門踊」を踊ったことが「松代天王祭図巻」(真田宝物館所蔵)に描かれています。この天王祭や大門踊りは、現在まで継承されています。
歴史文化を守り伝える風土
城外御殿である新御殿(真田邸)、松代藩の藩校である文武学校は、敷地全体と当時の建物がほぼ現存する全国唯一の事例です。このほか、重要文化財である旧横田家住宅などの武家屋敷、真田家ゆかりの寺社などの建造物や道筋、水路網など、城下町には数多くの伝統的な環境が残されています。また、松代町柴地区で採掘され、庭石や石垣等に利用される柴石、温泉水を釉薬に利用した松代焼など、地域資源を利用した伝統産業も今に伝えられています。

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