自然と信仰が紡ぐ戸隠の歴史文化
約200万年前に海底から隆起をはじめ、とても険しい山並みとなった戸隠山には、山に入って厳しい修行を行うことを目的に修験者が多く集まり、約850年前には全国にその名が知られる霊場(修行場)となりました。戸隠山の麓にはいくつもの寺院が開かれましたが、なかでも顕光寺には奥院、中院、宝光院という3つの拠点が整えられ、現在の戸隠神社奥社、中社、宝光社のもととなりました。
戦国時代には武田・上杉の争いに巻き込まれて一時荒廃しますが、その後は上杉景勝の支援によって再び寺院や境内が整えられました。戸隠神社奥社参道の杉並木もこの頃に整備されたものとされ、今に至るまで戸隠の人々の手によって大切に守り伝えられてきました。
戸隠山は「水の神」としても篤く信仰され、江戸時代には「戸隠講」と呼ばれる信者たちの寄り合いが各地につくられ、多くの人が戸隠へ参拝に訪れました。戸隠に訪れた人々は参道沿いの宿坊に宿泊し、祈祷を受けお札をいただくとともに、「そば切り」などの精進料理によるもてなしを受けました。戸隠中社・宝光社地区には大きな茅葺屋根をもつ伝統的な宿坊が今なお多く営まれ、歴史ある町並みをつくっています。また、戸隠のそば切りは、今では「戸隠そば」としてその名を轟かせており、竹細工のそば笊に「ぼっち盛り」で盛られた手打そばをひと口味わおうと、全国から多くの観光客が訪れています。
自然と信仰によって古くから多くの人を惹きつけてきた戸隠には、史跡や歴史的町並みの中に伝統的な祭礼、食文化、工芸品などが受け継がれ、自然と人々の営みが融合した歴史文化をいたる所に感じることができます。

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