長野県立歴史館 信濃史料

「信濃史料」 巻三 (100頁~)


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天皇 年月日 西暦 記事
安徳寿永二年三月1183義仲、頼朝と隙あり、義仲、子義高を送りて質となし、和解す、100
安徳寿永二年四月二七日1183義仲の兵、平維盛等の軍と、越前燧城に戦ひて敗る、105
安徳寿永二年五月二日1183平維盛等、軍を加賀に進め、義仲の部将林光明・富樫宗親等の拠城篠原等を陥る、尋で、維盛等、越中に入る、112
安徳寿永二年五月九日1183義仲、進みて越中に入り、平軍の先鋒を同国般若野に破る、116
安徳寿永二年五月一一日1183源義仲、進みて越中砺波山の東に陣す、夜に入りて、義仲、奇計を以て、平維盛等の軍を倶梨伽羅谷に大破す、121
安徳寿永二年五月一二日1183源行家、平軍と越中志雄山に戦ひて、利あらず、義仲、之を救援し、平軍を追撃して、加賀平岳野に至る、134
安徳寿永二年六月一日1183義仲、行家と共に、平氏の軍を加賀篠原に破る、義仲の将金刺三光盛、斎藤実盛を討つ、135
安徳寿永二年六月三日1183後白河法皇、伊勢太神宮以下十社に奉幣使を発遣し、義仲追討のことを祈る、 此の後、法皇、重ねて義仲降伏のことを祈る、148
安徳寿永二年六月一〇日1183義仲、進みて越前国府に入り、延暦寺僧徒等を誘ふ、尋で、僧徒等、之に応ず、152
安徳寿永二年六月一八日1183是より先、平貞能、兵を率ゐて越前敦賀に至り、義仲の軍と戦ひて敗る、是日、貞能、京都に帰る、165
安徳寿永二年六月二九日1183是より先、義仲の軍の先鋒、近江に入る、是日、延暦寺衆徒等、源平二氏の和平の事につき、後白河法皇の斡旋を請ふ、尋で、義仲の兵、同寺日吉社領を火くに依り、和議成らず、165
安徳寿永二年七月八日1183後白河法皇、義仲の軍に備へて、京都の警固を厳にす、167
安徳寿永二年七月二二日1183義仲の軍、比叡山に登り、延暦寺東塔惣持院に拠る、167
安徳寿永二年七月二四日1183後白河法皇、推問使を近江に遣はし、又院庁下文を義仲に与へ、之と和せんとす、169
安徳寿永二年七月二四日1183義仲・行家の軍、京都に迫る、平資盛等、これを邀撃せんとして成らず、安徳天皇を奉じて、播磨に奔る、後白河法皇、難を延暦寺に避く、尋で、京都蓮華王院に還る、172
安徳寿永二年七月二八日1183義仲・行家、京都に入り、蓮華王院に詣りて、後白河法皇に謁し、平氏追討の院宣を受く、184
安徳寿永二年七月三〇日1183後白河法皇、廷臣等をして、義仲・行家・頼朝の勧賞の事並びに義仲の軍勢等の京中狼藉停止の事等を議せしむ、尋で、法皇、義仲を京中守護に任じ、併せて京都警衛の配備を定む、190
安徳寿永二年八月一〇日1183義仲、左馬頭兼越後守に、行家、備後守に任じ、並びに従五位下に叙せらる、尋で、義仲、伊予守に、行家、備前守に遷任せらる、198