長野県立歴史館 信濃史料

「信濃史料」 巻七 (1頁~)


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天皇 年月日 西暦 記事
南朝長慶  北朝後円融南朝天授元年一月五日1375建仁寺如是院主妙在、此山、同寺妙喜庵主円月中厳、の示寂を夢み、その悼偈をつくる、尋で、円月、寂す、1
南朝長慶  北朝後円融南朝天授元年二月三〇日1375幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、3
南朝長慶  北朝後円融南朝天授元年三月二九日1375神祇伯白川顕那王、信濃権守に任ぜらる、4
南朝長慶  北朝後円融南朝天授元年四月二八日1375東福寺住持霊見、性海、近衛道嗣を訪ふ、4
南朝長慶  北朝後円融南朝天授元年九月1375東福寺住持霊見、性海、一雅大全、の請に応じて、その師一以大道、の頂相に賛す、5
南朝長慶  北朝後円融南朝天授元年一〇月七日1375相模保寿院住持周信、義堂、建仁寺の諸僧の、同寺の徒信濃の僧彜仲の同国に帰るを送る詩を和韻し、且その詩軸に序す、希譲在先、の彜仲の帰郷を送る詩5
南朝長慶  北朝後円融南朝天授元年一〇月一六日1375上杉朝房、市河頼房をして、本領並に買得地を安堵せしむ、尋で、また之を安堵せしむ、8
南朝長慶  北朝後円融南朝天授元年一二月1375前建仁寺住持慈照高山、三十年忌、同寺如是院主妙在、此山、その諡号勅額の掛額仏事を行ふ、9
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年二月二一日1376幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、10
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年二月1376是より先、建仁寺如是院主妙在此山、・東福寺退畊庵主霊見、性海、詩を妙快古剣、に寄す、是月、妙快、摂津有馬にありて、その韻を和答す、11
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年四月五日1376水内郡大安寺開山妙霖雷峰、の門弟等、報恩のために、妙霖の寿塔を同寺に造立す、13
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年四月二九日1376是より先、幕府、前建仁・天竜・南禅寺住持妙在此山、を円覚寺住持となす、是日、妙在、京都より鎌倉に下着す、14
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年四月1375長慶天皇、内裏百番歌合を行ひ、宗良親王をその判者となす、この年次、宗良親王、吉野に詠ずる和歌15
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年五月三日1376円覚寺住持妙在、此山、相模報恩寺住持周信義堂、に伴なはれて、関東官領足利氏満に謁す、17
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年六月二日1376円覚寺住持妙在、此山、同寺に入院す、18
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年六月一二日1376円覚寺住持妙在、此山、相模報恩寺住持周信義堂、に伴なはれ、関東管領足利氏満及び上杉能憲に謁す、24
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年六月一四日1376仁科盛国、安曇郡仁科神明の社殿を造替し、是日、遷宮を行ふ、25
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年六月二〇日1376埴科郡戸倉町佐良志奈神社の宝篋印塔、成る、 この年代の銘ある、小県郡神科村洞源寺・上水内郡信州新町安養寺・北佐久郡北御牧村田ノ尻・長野市市村仏導寺・駒ヶ根市菅沼、長野市箱清水町内田国松氏等所蔵の宝篋印塔銘26
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年七月1376全賢、小県郡浦野庄竜泉寺の梵鐘を造る、29
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年七月1376南佐久郡野沢町長命寺出土の板碑、成る、 この年代の銘ある、上田市上塩尻佐藤邦子氏所蔵の板碑30
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年閏七月一〇日1376円覚寺住持妙在、此山、周信義堂、に同寺造営都幹縁を掌らんことを勧む、31
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年八月一五日1376中秋、円覚寺住持妙在、此山、上堂して、周信義堂、の同寺造営都幹縁となるを謝す、その侍者妙霖、雷峰、使としてその謝偈を周信に呈す、尋で、周信、円覚寺に赴きて、妙在に上堂叙謝を謝す、31
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年八月二九日1376円覚寺住持妙在、此山、同寺都幹縁周信義堂、に偈頌及び礼銭を贈る、32
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年一〇月二八日1376冬至、関東管領足利氏満、円覚寺に詣る、同寺住持妙在、此山、拈香祝聖す、32
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年一〇月二九日1376円覚寺住持妙在、此山、足利義満と共に、同寺仏殿の上梁銘を書す、33
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年一二月八日1376円覚寺住持妙在、此山、遺誡を制して、滅後の仏事を簡略にせしむ、33
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年1376某僧、京都より鎌倉に下向して、円覚寺住持妙在此山、に参ず、周沢竜湫、偈頌をつくりて之に餞す、34
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年1376相模報恩寺住持周信、義堂、信濃の僧真月天心、の請に応じて、円覚寺諸僧の同寺の徒松崖の帰郷を送る詩軸に序す、 真月の事蹟35
南朝長慶  北朝後円融南朝天授二年1376是より先、建仁寺の徒夢堂、円覚寺住持妙在此山、を省覲す、是歳、夢堂、帰京せんとす、相模報恩寺住持周信、義堂、詩をつくりて之を送る、38
南朝長慶  北朝後円融南朝天授三年一月一二日1377円覚寺住持妙在、此山、寂す、39
南朝長慶  北朝後円融南朝天授三年一月一三日1377諏訪社上社明年神使御頭保科某、卒す、60
南朝長慶  北朝後円融南朝天授三年二月三日1377東福寺海蔵院塔主霊見、性海、同院檀越近衛道嗣を訪ふ、61
南朝長慶  北朝後円融南朝天授三年二月三〇日1377幕府的始、諏訪貞範等、射手を勤む、61
南朝長慶  北朝後円融南朝天授三年八月一七日1377幕府、諏訪社上社雑掌円心の訴に依り、上杉朝房をして、信濃国人の同社造営料を懈怠するを停め、造営の功を致さしむ、62
南朝長慶  北朝後円融南朝天授三年1377宗良親王、吉野より信濃に下向せんと志す、63
南朝長慶  北朝後円融南朝天授四年一月二三日1378幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、64
南朝長慶  北朝後円融南朝天授四年二月二九日1378東福寺海蔵院塔主霊見、性海、同院檀越近衛道嗣を訪ふ、65
南朝長慶  北朝後円融南朝天授四年八月二〇日1378東福寺海蔵院塔主霊見、性海、同院檀越近衛道嗣を訪ふ、65
南朝長慶  北朝後円融南朝天授四年1378宗良親王、信濃に下向す、65
南朝長慶  北朝後円融南朝天授五年一月二八日1379幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、66
南朝長慶  北朝後円融南朝天授五年一月1379東福寺住持霊見、性海、同寺開山圜爾百年忌斉の幹縁疏をつくる、67
南朝長慶  北朝後円融南朝天授五年閏四月一六日1379幕府、東福寺海蔵院塔主霊見性海、を南禅寺住持となす、70
南朝長慶  北朝後円融南朝天授五年閏四月二三日1379是より先、南禅寺住持霊見性海、未だ入院せざるに、細川頼之、没落して、嘗て頼之と抗争せし妙葩、春屋、丹後雲門寺より上洛す、是日、幕府、南禅寺住持の招請を改変して、妙葩を以て霊見に代へ、霊見を天竜寺住持となす、70
南朝長慶  北朝後円融南朝天授五年五月一〇日1379近衛道嗣、天竜寺住持霊見性海、を東福寺海蔵院に訪ふ、72
南朝長慶  北朝後円融南朝天授五年五月一六日1379天竜寺住持霊見、性海、同寺に入院す、72
南朝長慶  北朝後円融南朝天授五年五月二六日1379小笠原長基、建仁寺禅居庵に、その祖父貞宗の三十三回忌仏事を行ひ、同庵塔主霊致天境、をして拈香せしむ、73
南朝長慶  北朝後円融南朝天授五年七月1379天竜寺住持霊見、性海、その頂相に自賛を加ふ、75
南朝長慶  北朝後円融南朝天授五年1379是より先、小県郡安楽寺の僧秋巌、寿福寺の首座たり、是秋、安楽寺に帰る、相模報恩寺住持周信、義堂、詩をつくりて之に餞す、76
南朝長慶  北朝後円融南朝天授六年一月二五日1380幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、77
南朝長慶  北朝後円融南朝天授六年三月二〇日1380後円融天皇、妙心寺玉鳳院塔主宗峨雲山、をして、美濃五箇郷の替として、河内網代庄を、同院領として管領せしむ、 宗峨雲山、の事蹟78
南朝長慶  北朝後円融南朝天授六年四月三日1380信濃の僧周登、岳雲、周信義堂、の建仁寺入院の儀式を助成せんがために、建仁寺無量寿院に来宿す、80
南朝長慶  北朝後円融南朝天授六年五月三日1380南禅寺住持霊見、性海、管領斯波義将第の斉会に列す、80
南朝長慶  北朝後円融南朝天授六年六月五日1380某、小早川盛義をして、伊那郡遠照寺薬師堂領に諸役を免ぜしむ、81
南朝長慶  北朝後円融南朝天授六年七月二七日1380僧録司妙葩、春屋、日向大慈寺八景の詩をつくりて、建仁寺住持周信義堂、に示す、諸五山の僧之に傚つて作詩す、南禅寺住持霊見性海、及び信濃の僧建仁寺五葉庵の徒自厳竹隠、も、之に与る、81
南朝長慶  北朝後円融南朝天授六年一〇月1380東福寺退畊庵主霊見、性海、宗然可翁、会下の某居士のために、安牌仏事を勤む、84
南朝長慶  北朝後円融南朝天授六年一一月二一日1380大工光宗、小県郡山王宮に鰐口を寄進す、86
南朝長慶  北朝後円融南朝天授六年一一月二五日1380東福寺退畊庵主霊見、性海、その頂相に自讃を加ふ、86
南朝長慶  北朝後円融南朝天授六年一二月1380東福寺菩提院主士曇、乾峯、信濃の僧景琳の請に応じて、建長寺諸僧の、円覚寺の徒景晏の隠栖を送る詩軸に序す、87
南朝長慶  北朝後円融南朝天授六年1380宗良親王、信濃より河内山田に移る、88
南朝長慶  北朝後円融南朝弘和元年一月二三日1381幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、89
南朝長慶  北朝後円融南朝弘和元年一月1381行得、伊那郡文永寺に住す、89
南朝長慶  北朝後円融南朝弘和元年五月1381東福寺退畊庵主霊見、性海、智勝の請に応じて、無等の頂相に賛す、90
南朝長慶  北朝後円融南朝弘和元年一二月三日1381是より先、長慶天皇、新葉和歌集を勅撰集に擬せらるべきの綸旨を下す、仍りて、是日、宗良親王、同和歌集を奏覧す、 宗良親王の事蹟91