長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻七 (100頁~)
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南朝長慶 北朝後円融
南朝弘和元年一二月五日
1381
東福寺退畊庵主霊見、性海、足利義満に随伴して、足利義詮年忌追薦の法華八講を山城等持寺に聴聞す、
103
南朝長慶 北朝後円融
南朝弘和二年一月二五日
1382
幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
103
南朝長慶 北朝後円融
南朝弘和二年閏一月
1382
和泉海蔵寺住持勇健、大歇、偈頌を彦貞正仲、に与ふ、尋で、彦貞、その韻を和して之に答ふ、
104
南朝長慶 北朝後円融
南朝弘和二年二月一六日
1382
東福寺海蔵院焼け、元亨釈書の版木を失ふ、尋で、霊見、性海、同院塔主となりて、之を復興し、同書を重刊せんとして、その料足を勧化す、
105
南朝長慶 北朝後小松
南朝弘和二年七月一九日
1382
足利義満、その室日野宣子の尽七忌仏事を山城等持院に行ひ、東福寺退畊庵主霊見性海、をして拈香せしむ、
108
南朝長慶 北朝後小松
南朝弘和二年八月一三日
1382
是より先、信濃の僧東福寺の徒鳳侍者、帰郷せんとす、同寺の僧等餞偈を贈る、是日、知有、在先、希譲、鳳侍者の請に応じて、その偈軸に叙す、 信濃の僧佐上人、帰郷す、
108
南朝長慶 北朝後小松
南朝弘和二年八月二七日
1382
幕府、小笠原清政をして、美濃中河御厨を安堵せしむ、
110
南朝長慶 北朝後小松
南朝弘和二年一二月二日
1382
東福寺退畊庵主霊見、性海、足利義満の招に応じて、山城等持寺に足利義詮年忌追薦の法華八講を聴聞す、
111
南朝後亀山 北朝後小松
南朝弘和三年一月一七日
1383
幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
112
南朝後亀山 北朝後小松
南朝弘和三年二月一二日
1383
小笠原清順、長基、伊那郡伊賀良庄等の所領を、子長秀に譲る、
113
南朝後亀山 北朝後小松
南朝弘和三年四月一三日
1383
小笠原清政、美濃中河御厨を、同政康に譲る、
116
南朝後亀山 北朝後小松
南朝弘和三年六月一八日
1383
東福寺退畊庵主霊見、性海、同寺永明院の徒明兆吉山、の請に応じて、その自画の頂相に賛す、
116
南朝後亀山 北朝後小松
南朝弘和三年六月二九日
1383
足利義満、山城等持寺に於て和漢聨句を行ふ、霊見、性海、僧伴に列す、
118
南朝後亀山 北朝後小松
南朝弘和三年七月二二日
1383
仏光派の門徒等、円覚寺正続院舎利塔の規式を定む、信濃の僧妙霖、雷峯、その議に与る、
118
南朝後亀山 北朝後小松
南朝弘和三年九月二九日
1383
幕府、疎石夢窻、の三十三回忌仏事を天竜寺に行ひ、霊見性海、をして同寺雲居庵の塔前に於て拈香仏事を勤めしむ、
120
南朝後亀山 北朝後小松
南朝弘和三年一二月一五日
1383
信濃権守神祇伯白川資方王、従三位に叙せらる、
121
南朝後亀山 北朝後小松
南朝弘和三年
1383
南党某宮・新田一族等、信濃の北党のため、伊那郡浪合に敗死すと伝ふ、
122
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中元年一月一七日
1384
幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
123
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中元年二月三〇日
1384
足利義満、山城等持寺に於て和漢聨句会を行ふ、霊見、性海、僧伴に列す、
123
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中元年七月二七日
1384
諏訪頼寛、頼継、諏訪郡今泉村を諏訪社上社に寄進す、
124
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中元年八月一四日
1384
是より先、全快、鈍夫、高井郡善応寺を開剏す、是日、全快、寂す、 全快の法嗣、信濃の僧全俊秀涯、の事蹟
125
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中元年八月
1384
相模宝寿寺渓雲庵塔主勇健、大歇、同庵敷地を定む、
131
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中元年一〇月三日
1384
足利義満、霊見性海、をして南禅寺に再住せしむ、
132
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中元年一一月一五日
1384
東福寺海蔵院塔主勝洸、虎渓、同院領水内郡太田庄年貢を算用す、
134
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中元年一一月三〇日
1384
是より先、山城大慈院造営成る、是日、足利義満、同院住持周信義堂、の招請に依つて、同院に詣る、霊見性海、之に随伴す、
135
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中元年一二月一〇日
1384
某、佐久郡追分大明神の大般若経を書写す、
135
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中二年一月二三日
1385
幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
136
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中二年二月一二日
1385
信濃守護斯波義種、市河頼房をして、高井郡中野郷西条・志久見山・上条牧等の地頭職を安堵せしむ、
137
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中二年二月二一日
1385
東福寺退畊庵主霊見、性海、足利義満の招請に応じて、山城等持寺の観花会に列す、
138
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中二年三月一五日
1385
諏訪社上社、同社恒例春祭の歩射・神楽等勤仕の番を定む、
138
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中二年五月一六日
1385
是より先、諏訪頼寛、頼継、信濃国人の諏訪社上社々領を押領するを訴ふ、是日、幕府、信濃守護代二宮氏泰をして、国人の濫妨を停止せしむ、
139
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中二年六月一日
1385
木曽家信、木曽御嶽権現の社殿を造立す、尋で、また水無大明神の社殿を造立す、
140
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中二年六月八日
1385
紀伊大慈寺住持禅慧、海雲、寂す、勇健、大歇、その秉炬仏事を勤む、
142
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中二年六月二五日
1385
小笠原政経、諏訪社下社々領諏訪郡岡屋・伊那郡辰野両牧の駒牽役並に国役雑事等を免ず、
142
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中二年七月一八日
1385
信濃守護斯波義種、市河庶子一族に、惣領市河頼房と共に、軍忠・公事を勤むべきを命ず、
143
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中二年八月二八日
1385
東福寺退畊庵主霊見、性海、仮桟を設けて、南禅寺住持周信義堂、を招請し、共に足利義満・二条良基等の南都参詣の行装を観る、
144
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中二年九月三日
1385
山城真如寺、同寺開山祖元無学、の百年忌仏事を同寺開山塔正脈院に行ふ、東福寺退畊庵主霊見、性海、陞座説法す、
144
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中二年一一月七日
1385
足利義満、山城東福寺海蔵院をして、同寺領水内郡太田庄等を安堵せしむ、
145
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中二年一二月五日
1385
足利義満、山城楞伽寺をして、同寺領伊那郡郡戸庄・小県郡海野庄・埴科郡英多庄等を安堵せしむ、
146
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中三年一月一七日
1386
幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
147
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中三年二月三日
1386
南禅寺住持周信、義堂、足利義満を同寺に請ず、東福寺退畊庵主霊見、性海、之に随侍す、
148
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中三年三月一四日
1386
北安曇郡北城村諏訪社の鰐口、成る、
149
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中三年三月一五日
1386
諏訪社上社、同社恒例春祭の歩射・神楽等勤仕の番を定む、
149
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中三年七月一日
1386
信濃守護代二宮氏泰、高井郡小菅社別当某の信濃守護に従はざるに依り、市河頼房をして、之を改補せしむ、
150
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中三年七月五日
1386
信濃守護代二宮氏泰、市河頼房の昨年暮の戦功を褒し、併せて以後の防備を厳重にすべきを命ず、
151
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中三年七月二六日
1386
諏訪社上社、本年御射山祭の雅楽勤仕の役を定む、
152
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中三年七月三〇日
1386
諏訪社上社、明年同社御射山祭左頭役を埴科郡船山庄に充つ、
153
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中三年八月一二日
1386
信濃守護斯波義種、市河頼房等の戦功を褒す、
154
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中三年九月四日
1386
佐久郡安養寺開山勇健、大歇、寂す、
155
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中三年一〇月一七日
1386
南禅寺住持霊見、性海、東福寺永明院の徒明兆吉山、兆殿司、の請により、明兆の拾得せる羅漢祭文に跋す、 霊見、南禅寺に三住す
168
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中三年一〇月二一日
1386
松岡貞政、亡父道山居士三十三年忌追善のために、五部大乗経を摺写す、 安養寺の沿革
170
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中三年一二月二五日
1386
幕府、東福寺海蔵院塔主霊見性海、をして、同院領及び同院末庵黙耕庵敷地等を安堵せしむ、
175
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年一月一七日
1387
幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
176
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年三月二〇日
1387
諏訪信有、諏訪郡栗林南方の地を、諏訪社上社に寄進す、
177
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年四月二八日
1387
村上頼国・小笠原清順長基、・高梨朝高等、信濃守護斯波義種に叛し、兵を善光寺に挙ぐ、
178
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年五月二四日
1387
源豊重、筑摩郡牛伏寺の地蔵菩薩像を造立す、
179
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年五月
1387
円覚寺黄梅院塔主昌遵、用仲、同院華厳塔重建の用途を勧化す、信濃の僧妙霖、雷峰、之に助縁す、
181
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年閏五月二八日
1387
村上頼国等、守護所水内郡平芝を攻めんとす、市河頼房、信濃守護代二宮氏泰の子同種氏に属し、同郡漆田に之を禦ぐ、尋で、信濃守護斯波義種、頼房の功を賞す、
184
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年六月九日
1387
幕府、信濃守護代二宮氏泰を信濃に遣はし、子同種氏を援けしむ、尋で、市河頼房、氏泰に従ひ、水内郡常岩中條に村上頼国の軍と戦ひ、軍功を顕す、
186
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年六月一二日
1387
二宮種氏、高井郡犬甘北條・同中村の地を市河頼房に預く、
187
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年六月三〇日
1387
上杉朝貞、水内郡常磐中條郷内飛倉郷地頭職半分の地を、今清水某に預く、
188
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年七月九日
1387
諏訪頼寛頼継、小笠原清順長基、の軍を伊那郡田切に破る、
188
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年七月一六日
1387
足利義満、諏訪社上社をして、同社神領を安堵せしむ、
189
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年七月二九日
1387
諏訪社上社、埴科郡船山庄をして、本年同社御射山祭左頭役を勤仕せしむ、
190
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年
1387
善光寺、多宝塔を重建せんとす、都幹縁令簡、信濃の僧昌立季成、の紹介に依り、事を相国寺資寿院崇寿院、塔主周伸無求、に咨る、周伸、南禅寺住持周信義堂、をして、その募縁疏をつくらしむ、
190
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年八月二七日
1387
村上頼国等、信濃守護代二宮氏泰を善光寺横山城に攻む、市河頼房、氏泰に属して之と戦ひ、敗れて埴科郡生仁城に遁る、尋で、頼国等、同城を攻めて、之を陥る、
192
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年九月一五日
1387
信濃守護斯波義将、市河頼房の水内郡横山合戦の戦功を褒す、
193
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年九月二六日
1387
北党諏訪頼寛頼継、の兵、小笠原清順長基、の軍と、筑摩郡熊井原に戦ひて敗る、尋で、信濃守護斯波義将、頼寛の軍忠を褒す、
194
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年一二月一七日
1387
信濃守護斯波義将、水内郡常岩牧不動堂分を、料所として、市河頼房に預く、
195
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中四年一二月一八日
1387
河内守某、水内郡常盤中条東広江の屋敷・田、併に白鳥知行分等を、泉彦六朗に打渡す、
196
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中五年一月一一日
1388
伊那郡実際寺の雲、板成る、
197
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中五年一月一七日
1388
幕府的始、屋代師国等、射手を勤む、
197
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中五年
1388
僧国阿、善光寺に詣づ、
198
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中五年八月一九日
1388
信濃守護代二宮氏泰、水内郡加佐郷内新屋分を、料所として、市河頼房に預く、
199
南朝後亀山 北朝後小松
南朝元中五年一一月
1388
東福寺退畊庵主霊見、性海、備中真光寺六湛庵主法昌東州、の頂相に賛す、
199