長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻十 (400頁~)
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後柏原
永正一二年九月一〇日
1515
星科善昌等、佐久郡田口神宮寺の三重塔を造立す、
403
後柏原
永正一二年一一月一九日
1515
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
406
後柏原
永正一二年一一月二九日
1515
醍醐寺五智院長典、同寺理性院宗済十三回忌追薦文永寺結縁潅頂記録を書写す、
407
後柏原
永正一三年正月八日
1516
伊那郡文永寺僧仙耀、禁中太元護摩修法の伴僧を勤む、
408
後柏原
永正一三年
1516
信濃の僧山城妙心寺前住持瑞郁、文叔、その俗弟正英居士の請に応じて、道号を与へ、逆修秉炬仏事を行ふ、
409
後柏原
永正一三年四月二四日
1516
相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、先に草案を成せる建長寺西来庵修造勧進状を再治清書す、
411
後柏原
永正一三年六月一四日
1516
仁科盛国、安曇郡仁科神明の式年造営を行ひ、是日、遷宮を行ふ、
414
後柏原
永正一三年七月五日
1516
諏訪郡仏法寺尊純、下野宇都宮大日院経蔵版木を以て、仁王護国般若経を摺写し、同国能延寺俊尊所伝本に依つて加点す、
415
後柏原
永正一三年九月二六日
1516
小県郡定津院住持玄俊、雲鷹、寂す、
418
後柏原
永正一三年一〇月一七日
1516
是より先、玄岱、海秀、佐久郡に正安寺を開創す、是日、玄岱、小県郡定津院住持となりて、之に赴任し、慶参、玄室、正安寺住持の席を嗣ぐ、
420
後柏原
永正一三年一二月六日
1516
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
422
後柏原
永正一三年
1516
幕府、前建仁寺住持以信義海、を南禅寺住持となす、
423
後柏原
永正一四年二月一五日
1517
小名七郎右衛門、佐久郡新海明神に鰐口を寄進す、
429
後柏原
永正一四年三月一六日
1517
熊野三山検校山城聖護院道增、佐久郡大井法華堂源春の入峯にあたり、太刀を贈る、
430
後柏原
永正一四年六月六日
1517
信濃の僧、下総小金東漸寺開山愚底、経誉、寂す、
430
後柏原
永正一四年八月一九日
1517
是より先、遠江大河内貞綱、尾張守護斯波義達と共に、信濃国人を催し、遠江引間城に拠りて、駿河守護今川氏親と戦ふ、是日、城陥る、
437
後柏原
永正一四年九月二〇日
1517
熊野三山検校山城聖護院道增、新泉をして、佐久郡大井法華堂檀那大井・依田等の一族被官人の熊野二所先達職を安堵せしむ、
441
後柏原
永正一四年九月二一日
1517
是より先、熊野三山検校山城聖護院道增、諸国の修験者等に役銭を課す、是日、乗々院某、佐久郡大井法華堂源春をして、信濃の山伏・先達等に、その進納を触れしむ、
441
後柏原
永正一四年
1517
佐久郡大井法華堂源春、僧都に任ぜらる、
442
後柏原
永正一四年一二月一八日
1517
諏訪湖上に諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
443
後柏原
永正一五年五月一三日
1518
後柏原天皇、信濃の僧日向大慈寺開山玄提玉山、に仏智大通禅師の諡号を授く、
444
後柏原
永正一五年一一月一九日
1518
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
446
後柏原
永正一五年一二月一八日
1518
諏訪社上社大祝諏訪頼満、同下社大祝金刺昌春を、諏訪郡萩倉城に攻めて、之を破る、
447
後柏原
永正一六年二月一七日
1519
相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、浄円居士の請に応じて、道号を与へ、その説を作る、
448
後柏原
永正一六年二月二六日
1519
是より先、嶋津貞忠、越後守護代長尾為景に和を請ふ、是日、為景、部将山吉妙寿をして、貞忠の弟元忠と、越後上郷に会して和を講ぜしむ、
449
後柏原
永正一六年
1519
南安曇郡堀金村薬師堂の厨子、成る、
451
後柏原
永正一六年
1519
相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、叔上人の需めに応じて、春遊の詩を作る、
451
後柏原
永正一六年八月二一日
1519
将軍足利義稙、義尹、高井郡高梨澄頼の馬を贈れるを謝す、
452
後柏原
永正一六年九月一五日
1519
伊勢宗瑞、早雲庵、卒す、某人、その私第に、追悼大会を修す、相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、之に列席し、祭文を作つて、之を祭る、
452
後柏原
永正一六年一二月五日
1519
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
454
後柏原
永正一七年二月一九日
1520
大井玄岑・同隆景、佐久郡大井法華堂源春をして、同郡瀬渡の内の所領を安堵せしむ、 隆景、大井法華堂へ書状を遺る、
455
後柏原
永正一七年
1520
佐久郡自成寺開山麟英、俊庵、同寺寺記を撰す、
457
後柏原
永正一七年一一月二九日
1520
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
460
後柏原
永正一七年一二月二六日
1520
諏訪宮增丸、頼重、諏訪社上社大祝の位に即く、
461
後柏原
永正一七年
1520
伊那郡文永寺僧仙耀、法華経摺本を亮信に与ふ、
463
後柏原
大永元年
1521
木曽御岳権現の滝神主、土公祭文を書す、
464
後柏原
大永元年一〇月六日
1521
伊那郡文永寺僧仙耀、宗信を携へて上洛し、是日、山城醍醐寺理性院に於て、宗信をして得度せしむ、
471
後柏原
大永元年一一月二一日
1521
伊那郡文永寺僧仙耀、三条西実隆を訪ふ、尋で、信濃に帰らんとす、仍つて、実隆、仙耀に短冊百首を贈る、
471
後柏原
大永元年一一月三〇日
1521
諏訪宮增丸、頼重、諏訪社上社大祝の位を退く、尋で、また大祝の位に復す、
472
後柏原
大永元年一二月一二日
1521
山城妙心寺、同寺開山慧玄関山、の二百年忌仏事を修し、同寺住持宗休大休、をして拈香仏事を勤めしむ、
473
後柏原
大永元年一二月二一日
1521
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
474
後柏原
大永元年一二月三〇日
1521
将軍足利義晴、乗馬始を行ふ、小笠原六郎、之に供奉す、
476
後柏原
大永元年
1521
佐久郡伴野貞祥、祖父光利追福のために同郡に貞祥寺を創め、同族の僧徳忠節香、を請じて開山となす、
476
後柏原
大永二年三月二九日
1522
神祇伯雅業王、信濃権守に、下冷泉為豊、同介に任ぜらる、
480
後柏原
大永二年六月一日
1522
伊那郡文永寺に於て、大般若経の転読あり、
481
後柏原
大永二年一〇月二一日
1522
小笠原定基、伊那郡立石寺本堂を造立す、
482
後柏原
大永二年一〇月二三日
1522
佐久郡大井貞隆、三郎右衛門姓闕く、に所領を宛行ふ、
482
後柏原
大永二年一二月八日
1522
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
483
後柏原
大永三年
1523
筑摩郡鉢伏権現の再建、成る、
485
後柏原
大永三年二月一〇日
1523
水内郡長沼浄興寺住持巧周、寂す、
486
後柏原
大永三年三月一一日
1523
佐久郡大井貞隆、紀伊高野山蓮華定院を領内住民の宿坊と定む、 大井貞隆、蓮華定院に年始を賀し、同院より巻敷を贈らるるを謝す、
486
後柏原
大永三年
1523
相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、印藤氏の女某のために安名し、且つその道号を与ふ、
488
後柏原
大永三年六月一〇日
1523
甲斐武田信虎、善光寺に参詣す、
489
後柏原
大永三年
1523
相摸禅興寺明月院塔主英璵、玉隠、佐野忠成に法名・道号を授け、且つ道号の頌を作る、
490
後柏原
大永三年一一月一九日
1523
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋で、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
491
後柏原
大永四年
1524
諏訪社上社、同社磯並宝殿及び前宮三之御柱造宮料を伊那郡藍田等に徴す、
492