長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻十四 (300頁~)
1頁~
100頁~
200頁~
300頁~
400頁~
500頁~
「信濃史料」巻別収録年代に戻る
・ 綱文(記事)をクリックすると、綱文とその出典を掲載した画面が表示されます。
天皇
年月日
西暦
記事
頁
正親町
天正六年三月五日
1578
諏訪頼満、頼水、諏訪社上社大祝の位に即く、
300
正親町
天正六年三月一三日
1578
上杉謙信、越後春日山城に死す、尋いで、子景勝、嗣ぐ、 信濃に関する謙信の書状 謙信、大乗寺の普請を行ふ、
301
正親町
天正六年三月一四日
1578
是より先、武田勝頼、伊那郡伊賀良郷をして、諏訪社上社前宮の造宮を勤仕せしむ、是日、諏訪伊豆等、之を同郷に伝達す、
307
正親町
天正六年三月二一日
1578
是より先、諏訪郡両角孫左衛門、某と同郡富岡・芹ヶ沢郷の山堺につき争論す、是日、武田勝頼の臣安西有味等、之を裁し、天正四年以前の例に従はしむ、
308
正親町
天正六年三月二八日
1578
武田勝頼、諏訪郡高嶋十人衆をして、その知行を安堵せしむ、
310
正親町
天正六年三月二八日
1578
佐久郡泉光院堅海、施氏三略講義を書す、
312
正親町
天正六年五月一〇日
1578
是より先、村上国清等、多賀大僧正に、武具等の保管並びに祈祷を依頼す、是日、多賀大僧正、之に答ふ、
314
正親町
天正六年五月一〇日
1578
是より先、北条高常父子、上杉景虎を、同謙信の嗣となさんと策す、仍りて、上杉景勝、信濃の人岡田十左衛門をして、高常父子を誅せしむ、是日、景勝、十左衛門の功を褒す、
315
正親町
天正六年五月一一日
1578
武田勝頼、諏訪郡十日町の伝馬役を定む、
317
正親町
天正六年五月一一日
1578
埴科郡海津城将高坂昌信、卒す、
319
正親町
天正六年五月一二日
1578
武田勝頼、諏訪郡昌福寺をして、寺領を安堵せしむ、
319
正親町
天正六年五月一三日
1578
武田勝頼、原昌胤をして、佐久郡岩尾衆の城普請勤仕を催促せしむ、
320
正親町
天正六年五月二二日
1578
上杉景虎の兵、同景勝を越後春日山城に攻む、島津喜七郎等、同城に篭城して、景虎の兵を却く、尋いで、景勝、喜七郎等の戦功を賞す、
320
正親町
天正六年五月二三日
1578
上杉景勝、小森沢政秀等をして、高井郡市川口の防備を厳にせしむ、
322
正親町
天正六年五月二七日
1578
小森沢政秀、上杉景虎の党を、水内郡飯山に攻めて戦功を顕はす、
323
正親町
天正六年五月二九日
1578
是より先、武田勝頼、上杉景虎を援けんとし、武田信豊を信越国境に遣はす、是日、景虎、之を芦名盛氏に報じ協力を求む、
324
正親町
天正六年
1578
山城石清水八幡宮、蔵坊をして、同宮領更級郡小谷庄神領を注進せしむ、 石清水八幡宮、同宮領小谷庄神領を注す、
325
正親町
天正六年六月三日
1578
伴野讃月斎全真、同信守、紀伊高野山成慶院を、領内住民の宿坊と定む、
329
正親町
天正六年六月七日
1578
上杉景勝、武田勝頼に和を求む、勝頼、武田信豊・高坂弾正の斡旋に依り、之を諾す、是日、跡部勝資、これを中条景泰等に答報す、
330
正親町
天正六年六月九日
1578
是より先、上杉景勝の党上野九兵衛等、上杉景虎の属城越後猿毛城を奪ふ、是日、景勝、九兵衛の功を賞し、村上国清をして、之を九兵衛に達せしむ、 国清、上野九兵衛に書を送る、
333
正親町
天正六年六月一二日
1578
是より先、上杉景勝、誓詞を武田勝頼に送る、是日、武田信豊、埴科郡海津着陣の勝頼に之を通ず、
335
正親町
天正六年六月一二日
1578
是より先、小県郡定津院住持玄忠、大休、甲斐興院寺住持玄橘と相摸最乗寺輪住職につき、相争ふ、是日、武田勝頼、佐久郡竜雲寺住持全祝北高、の意を求めんがため、之を甲府に召す、尋いで、一件落居し、玄忠、最乗寺に入院す、
336
正親町
天正六年六月一八日
1578
是より先、伊那郡文永寺宗然、同寺護摩符を穴山信君に贈る、是日、信君、之に答謝す、
338
正親町
天正六年六月一九日
1578
上杉景勝、越後妻有城将小森沢政秀に書を送り、高井郡市川信房の調略に迷はず、同城を堅固に守るべきを命ず、
339
正親町
天正六年六月二二日
1578
武田勝頼、埴科郡海津城より、水内郡長沼に陣を進め、上杉景勝と連携をとる、是日、景勝、之を吉江民部少輔等に報ず、尋いで、勝頼、越後に入る、
341
正親町
天正六年六月二四日
1578
仁科盛信、井口正林をして、過所役を安堵せしむ、
342
正親町
天正六年七月九日
1578
島津喜七郎等、上杉景勝に属し、同景虎の兵と屢越後大場に戦ふ、是日、景勝、喜七郎等の戦功を賞す、
342
正親町
天正六年七月一〇日
1578
摂津石山本願寺執事下間頼廉、光佐顕如、の石山篭城にあたり、本誓寺の兵糧を送れるを謝す、 本誓寺某、光佐に書を送り、織田信長との和を勧む、
344
正親町
天正六年七月一〇日
1578
高井郡興国寺住持順京、高山、順尭に仏祖正伝菩薩戒作法を伝与す、
345
正親町
天正六年七月一三日
1578
水内郡勝善寺順西、武田勝頼に起請文を捧げ、所領に関し私曲なきを誓ふ、
346
正親町
天正六年七月一八日
1578
武田勝頼、伊那郡建福寺をして、鉾持古町の人足を使役せしめ、併せて末寺同郡笠原郷吉祥寺門前居住人の普請役を免ず、
347
正親町
天正六年七月一九日
1578
水内郡勝善寺順西、武田勝頼に寺領年貢を注進す、
349
正親町
天正六年七月二三日
1578
武田勝頼、上杉景虎・同景勝の和親を計らんとして、越後府内に到り、信濃の人仁科中務丞等をして、景勝に諫言せしめんとす、
349
正親町
天正六年七月二六日
1578
水内郡島津泰忠、武田勝頼に、その知行注文を指出す、
350
正親町
天正六年
1578
武田勝頼、小平某に義大夫の名字を与ふ、
351
正親町
天正六年八月一日
1578
上杉景勝、秋山式部丞に、夜交民部左衛門等の所領を宛行ふ、
352
正親町
天正六年八月二日
1578
三条信宗、起請文を村上国清に送り、上杉景勝に対し、異心なきを誓ふ、
352
正親町
天正六年八月三日
1578
上杉景虎、水内郡岩井大和守に、下条宮内少輔知行分并びに念仏寺領を宛行ふ、
354
正親町
天正六年八月二〇日
1578
上杉景勝、水内郡尾崎重元の知行改を行ひ、年貢の進済を命ず、
354
正親町
天正六年八月二〇日
1578
是より先、上杉景勝、武田勝頼に、上杉景虎との和議仲介の労を謝し、勝頼に物を贈る、是日、勝頼、之に答謝す、
355
正親町
天正六年八月二一日
1578
武田勝頼、更級郡康楽寺をして、証蓮寺等の末寺及び同宿三十七人に、妻妾を帯するに依る普請役を免除せしむ、
356
正親町
天正六年八月二三日
1578
武田勝頼、島津泰忠等の軍役を定む、
357
正親町
天正六年九月一日
1578
上杉景勝、水内郡大滝新兵衛尉等に、所領を宛行ふ、
360
正親町
天正六年九月一二日
1578
武田勝頼、諏訪社下社に、造営料として、筑摩郡塩尻郷内の地を寄進す、
363
正親町
天正六年九月一四日
1578
武田勝頼、伊那郡建福寺に、客殿造立の間、門前百姓の新夫役を免ず、
364
正親町
天正六年九月一四日
1578
陸奥芦名盛氏の将小田切弾正忠等、上杉景虎に応じ、村上国清の家臣を誘ひ、越後下条・水原の地を侵す、是日、景虎、弾正忠等の戦功を賞す、
364
正親町
天正六年九月一七日
1578
仁科盛信、山田若狭守をして、安曇郡穴平の地を安堵せしむ、
365
正親町
天正六年九月一七日
1578
仁科盛信、安曇郡大編郷に移住する者に、諸役を免ず、
366
正親町
天正六年九月二三日
1578
武田勝頼、尾崎重元をして、本領を安堵せしむ、
366
正親町
天正六年一〇月一日
1578
是より先、武田勝頼、上杉景勝・同景虎の和議成らざるを以つて、越後より甲府に帰る、是日、信濃の人春日信達、書を景勝の臣新発田長敦等に送り、和議の不調を歎く、
367
正親町
天正六年一〇月七日
1578
上杉景虎の将北条景広、越後府内より居城北条に還らんとす、村上国清、遠藤宗左衛門等をして、同国旗持城等に之を要撃せしむ、
368
正親町
天正六年一〇月八日
1578
武田勝頼、文永寺宗然の所領駿河精進川等の在家の郷次普請役を免ず、
371
正親町
天正六年一〇月一五日
1578
武田勝頼、伊那郡池上清左衛門尉に、所領を宛行ふ、
371
正親町
天正六年一〇月一七日
1578
武田勝頼、伊那郡和泉某に、郷次の普請役を免ず、
373
正親町
天正六年一一月三日
1578
上杉景虎、小笠原某等を遣はして、越後琵琶島城将琵琶島善次郎を援けしむ、
373
正親町
天正六年一一月一一日
1578
上杉景勝、島津喜七郎等に、所領を宛行ふ、
375
正親町
天正六年一二月一三日
1578
諏訪社上社、同社明年の神使御頭を定む、
376
正親町
天正六年一二月二三日
1578
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
377
正親町
天正六年一二月二四日
1578
須田信政、順尭を高井郡興国寺住持となし、同寺寺領を安堵せしむ、
378
正親町
天正六年一二月二六日
1578
木曽義昌、定勝寺の徒徹蔵主隠居分を、同寺如意庵主聖贇玉林、の進止に任す、 義昌の聖贇宛の書状
378
正親町
天正六年
1578
諏訪社上社、同社今年の頭役料の未進を注す、
380
正親町
天正六年
1578
東福寺竜吟庵門徒、同庵開基普門無関、の三百年忌を営弁せんとして、予め助縁を募る、
381
正親町
天正六年
1578
佐久郡貞祥寺住持正佶、楽翁、高井郡泉竜寺住持と、埴科郡弾透院住持徳応、喚室、貞祥寺住持と、芳達、大翁、同郡弾透院住持と、運芸、才庵、同郡豊泉寺住持となる、
382
正親町
天正七年正月一日
1579
前南禅寺・真如寺・木曽定勝寺住持聖贇、玉林、寂す、 水内郡大安寺元甫、寂す、
384
正親町
天正七年正月二〇日
1579
諏訪社下社、同社春宮造宮銭請取の次第を注す、
385
正親町
天正七年二月二日
1579
穂高社、同社式年造宮にあたり、安曇郡諸郷の所役を注す、
397