長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻十六 (200頁~)
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正親町
天正一二年八月五日
1584
是より先、小笠原貞慶、木曽谷に攻入り、福島を焼く、是日、徳川家康、保科正直をして、菅沼定利の指揮に従ひ、木曽義昌を撃たしむ、 諏訪社上社別当上坊、玉会を木曽義昌に送り、義昌、之に答謝す、
200
正親町
天正一二年八月一〇日
1584
木曽義昌、奈良井十郎に、筑摩郡府中の地等を宛行ふ、、尋いで、和田小三郎に、諸役を免ず、
203
正親町
天正一二年八月一八日
1584
小笠原貞慶、日岐盛武等をして、川中島進撃に後詰せしめ、且つ、宇留賀与兵衛等をして、更級郡牧島筋の調略を致さしむ、
205
正親町
天正一二年八月一九日
1584
伊那郡知久上平鎮守社、普請事始日時卜定、
206
正親町
天正一二年八月二〇日
1584
諏訪頼忠、矢崎某に、諏訪社上社祢宜職等を宛行ふ、
207
正親町
天正一二年
1584
佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、貞範義窓、大姉のため秉炬仏事を行ふ、
208
正親町
天正一二年九月七日
1584
黒金景信、水内郡長沼在陣の上杉景勝に物を贈る
209
正親町
天正一二年九月七日
1584
更級郡の人村上義長、伊勢豊受大神宮に神楽等を献じ、なほ、同宮御師榎倉大夫に祈念を請ふ、
209
正親町
天正一二年九月一八日
1584
是より先、上杉景勝、前田利家と呼応し、須田満親等をして、佐々成政の属城越中境を攻めしむ、是日、満親、景勝の近く越中に出馬すべきことを利家に報ず、
210
正親町
天正一二年一〇月五日
1584
徳川家康、小笠原貞慶の、木曽に攻入り、戦功を顕はすを賞す、
211
正親町
天正一二年一〇月六日
1584
木曽義昌、和田弥九郎を中間となし、遠夫丸役を免除す、尋いで、孫次郎姓闕く、を中間となす、
213
正親町
天正一二年一〇月一四日
1584
諏訪頼忠、平井弖清右衛門に、諏訪郡蔦木の地を宛行ふ、
214
正親町
天正一二年一〇月一四日
1584
菅沼定利、伊那郡普済寺をして、寺領を安堵せしむ、 菅沼定利の臣石野弘光、某をして伊那郡知久平城跡を本作人に渡さしむ、
215
正親町
天正一二年一〇月一七日
1584
徳川家康、安曇郡榛葉但馬守の、越中往復通用衆のために、便宜を計れるを賞す、
218
正親町
天正一二年一〇月二一日
1584
小笠原貞慶、某に、筑摩郡南栗林の地を宛行ふ、
219
正親町
天正一二年一〇月二六日
1584
諏訪頼忠、与三右衛門尉等を諏訪郡踏出村の印叛衆となす、尋いで、同人等の染物役を免除す、
219
正親町
天正一二年一一月二日
1584
小笠原貞慶、贄川又兵衛後家に、所領を宛行ふ、
221
正親町
天正一二年一一月三〇日
1584
小笠原貞慶の臣草間肥前、筑摩郡中田源二郎の所領同郡庄内の地の年貢を注す、
221
正親町
天正一二年一一月四日
1584
是より先、上杉景勝、越中境に佐々成政の軍を破る、是日、景勝、之を水内郡岩井信能に報ず、 水内郡栗田民部介、景勝の帰陣を祝し、景勝、これに答謝す、
222
正親町
天正一二年一一月四日
1584
徳川家康、三河に出陣し、諏訪頼忠に参陣の用意を命ず、 小笠原貞慶、家康の納馬を祝し、家康、これに答ふ、
223
正親町
天正一二年一一月七日
1584
直江兼続、水内郡大日方主税助をして、知行を安堵せしむ、
224
正親町
天正一二年一一月二〇日
1584
諏訪頼忠、大工五郎左衛門・式部左衛門に、木の口四駄分を指置く、
225
正親町
天正一二年一一月三〇日
1584
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、
226
正親町
天正一二年一二月一三日
1584
諏訪社上社、同社明年神使御頭を定む、
227
正親町
天正一二年一二月一五日
1584
是より先、上杉景勝、越中に入り、佐々成政の属城を抜く、須田満親、之を羽柴秀吉に報ず、是日、秀吉、織田信雄・徳川家康と和せるを満親及び景勝に報ず、
227
正親町
天正一二年一二月一六日
1584
真田昌幸、市場右京進をして、上野吾妻問屋職を安堵せしむ、
228
正親町
天正一二年一二月二四日
1584
上杉景勝、高井郡大熊・角間両郷の百姓に、土貢赦免を約す、
229
正親町
天正一二年一二月二五日
1584
越中佐々成政、信濃を経て、遠江浜松に到り、是日、徳川家康に謁く、
229
正親町
天正一二年一二月二七日
1584
菅沼定利、伊那郡平沢勘右衛門に地を宛行ふ、
230
正親町
天正一二年
1584
真田昌幸、河原綱家等をして、商人を取締らしむ、
230
正親町
天正一二年
1584
諏訪社上社、同社本年頭役料を注す、
231
正親町
天正一三年正月一日
1585
佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、同寺に禁制を掲ぐ、
233
正親町
天正一三年正月一一日
1585
是より先、高梨頼親、上杉景勝より、信濃本領を安堵せらる、仍りて、是日、頼親、木島監物丞に給分を宛行ふ、
233
正親町
天正一三年正月一五日
1585
松川道文、安曇郡大宮大明神に祈願す、
234
正親町
天正一三年二月一日
1585
神祇管領卜部兼治、伴野清次に四組木綿手繦の著用を許す、
235
正親町
天正一三年二月三日
1585
信満、姓闕く、綿内彦五郎に知行を宛行ふ、
236
正親町
天正一三年二月五日
1585
保科正貞、埋橋彦介に知行を宛行ふ、
236
正親町
天正一三年二月一〇日
1585
小笠原貞慶、安曇・筑摩両郡の番匠等をして、安曇郡満願寺本堂修理に当たらしむ、
237
正親町
天正一三年二月一〇日
1585
細萱長知、安曇郡満願寺に、同郡牧の地の阿弥陀地を寄進す、
237
正親町
天正一三年二月一二日
1585
安曇郡穂高社、同社式年造宮にあたり、同郡諸郷の所役を注す、 三宮穂高社御造宮定日記断簡
238
正親町
天正一三年
1585
小坂光清、諏訪社上社釈迦堂に、鰐口を寄進す、
242
正親町
天正一三年三月一日
1585
諏訪大明神御本地縁起、成る、 祝詞段・諸神勧請段・根元記・年内次第旧記
243