長野県立歴史館 信濃史料

「信濃史料」 巻十六 (300頁~)


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天皇 年月日 西暦 記事
正親町天正一三年三月三日1585青柳頼長、筑摩郡叶里大明神及び田中大明神に地を寄進す、316
正親町天正一三年三月八日1585伊那郡文永寺の僧宗演、山城醍醐寺理性院に於いて、文永寺結縁潅頂巻数案を書写す、316
正親町天正一三年三月一二日1585上杉景勝、須田満親に命じ、家中の諸士をして、軍役を励ましむ、317
正親町天正一三年四月二六日1585上杉景勝、高井郡中野藤九郎の、越後三条に於ける忠節を賞す、318
正親町天正一三年1585青柳頼長、筑摩郡某大明神に地を寄進す、319
正親町天正一三年1585佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、貞玖石窓、大姉のため、秉炬仏事を勤む、319
正親町天正一三年五月八日1585是より先、高井郡須田信正、真田昌幸等に与し、上杉景勝に叛く、是日、景勝、上条宜順をして、信正を成敗せしめんとす、尋いで、宜順、信正を同郡福島城に討つ、321
正親町天正一三年五月一〇日1585信春、姓闕く、水内郡飯縄社に地を寄進す、322
正親町天正一三年五月一一日1585相沢政信、埴科郡孫六をして、その抱地を安堵せしむ、322
正親町天正一三年五月一一日1585伊那郡文永寺宗然、同寺に於いて愛染字輪観を書写す、323
正親町天正一三年五月二五日1585山城青蓮院尊朝法親王、本誓寺に、上杉景勝と新発田重家との争を調停せんことを依頼す、323
正親町天正一三年六月五日1585上杉景勝、伊達受心輝崇、に好を修し、信濃の平定を報ず、是日、受心、之に答ふ、324
正親町天正一三年六月一二日1585上杉景勝、埴科郡海津城代須田満親をして、信濃四郡の諸士を指揮し、仕置を厳にせしむ、325
正親町天正一三年六月一二日1585諏訪頼忠、五郎左衛門尉等に、郷次の普請役を免除す、327
正親町天正一三年六月一七日1585上杉景勝、上野箕輪在城の佐久郡瀬下豊後守の労を犒ひ、近く出陣せんとする旨を告ぐ、327
正親町天正一三年六月二一日1585真田信幸、矢沢頼幸に同心衆を附し、奉公を励ましむ、328
正親町天正一三年六月二四日1585某、諏訪久三をして、所領を安堵せしむ、329
正親町天正一三年1585青柳頼長、筑摩郡清長寺に同郡碩水寺分寺領を寄進し、また、同郡花顔寺に寺領を寄進す、330
正親町天正一三年七月九日1585松平依田、康国、左衛門太郎姓闕く、に、佐久郡田口郷の地を宛行ふ、331
正親町天正一三年七月一二日1585諏訪頼忠、菅沼定利に誓詞を捧げ、徳川家康及び定利に異心なきを誓ふ、 頼忠、家康の納馬を祝し、馬以下を贈り、家康、これに答謝す、332
正親町天正一三年七月一二日1585真田昌幸、宮下太兵衛・塩入弥兵衛に、それぞれ小県郡松本の地等を宛行ふ、334
正親町天正一三年七月一五日1585是より先、真田昌幸、上杉景勝に異心なき旨を誓ふ、仍りて、是日、景勝、昌幸に誓書を与へ、知行等を安堵す、 昌幸、下之郷大明神所用の柳を、坂城郷等に於いて伐るを許す、334
正親町天正一三年七月二七日1585木曽義昌、松原彦右衛門に地を宛行ふ、338
正親町天正一三年1585佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、大源門派の伝法衣を雲洞院に附す、338
正親町天正一三年1585諏訪社上社内御玉殿、成る、339
正親町天正一三年八月一日1585小笠原貞慶、山田甚右衛門等に、安曇郡小谷等の地を宛行ふ、339
正親町天正一三年八月六日1585小笠原貞慶、安曇郡満願寺観音堂造立につき、同寺に、他郡より大工を雇ふを許す、貞慶、満願寺に観音灯明料を寄進す、340
正親町天正一三年八月一二日1585小笠原貞慶、及木源三郎に、安曇郡氷室の地を宛行ふ、341
正親町天正一三年八月一三日1585祢津昌綱、土屋猪介に知行を宛行ふ、341
正親町天正一三年八月一四日1585伊那郡殿岡村の差出帳、成る、 殿岡村差出帳342
正親町天正一三年八月一六日1585真田昌幸、大工左京進姓闕く、の奉公を賞し、知行を与ふ、349
正親町天正一三年八月一九日1585木曽義昌、木曽王滝百姓に令して、印判状なきものの課役に応ずることなからしむ、349
正親町天正一三年八月二〇日1585徳川家康、真田昌幸を討たんとし、小笠原信嶺・松岡貞利等に、小県郡出陣を促す、350
正親町天正一三年八月二六日1585真田昌幸、使者を海津城将須田満親に遣はし、救援を求む、仍りて、満親、これを馬場左近に報じ、上杉景勝の助勢を請ふ、是日、景勝、川中島諸将をして、参陣せしめ、満親の指揮に従はしむ、350
正親町天正一三年八月二九日1585是より先、真田昌幸、子信繁を人質として、海津城将須田満親に送る、是日、満親、昌幸の臣矢沢頼幸に書を送つて、之を謝し、且つ、小県郡曲尾に助勢を出せるを告ぐ、352
正親町天正一三年閏八月二日1585真田昌幸・同信幸父子、徳川家康の兵を小県郡国分寺に迎撃して、之を破る、354
正親町天正一三年閏八月八日1585真田昌幸、百姓の訴により、飯島宗心等をして、納方料所内の早損の情況を検見せしむ、355
正親町天正一三年閏八月一一日1585諏訪頼忠、矢島河内守の討死するに依り、諏訪社上社権祝矢島某をして、その名跡を嗣がしむ、355
正親町天正一三年閏八月二〇日1585是より先、安曇郡満願寺観音堂の上棟あり、是日、小笠原貞慶、同寺をして、参詣人の喧嘩口論を取締らしむ、356
正親町天正一三年閏八月二四日1585小笠原貞慶、松山織部に、庄内の替地として、城の内見出分を宛行ふ、357
正親町天正一三年閏八月二六日1585徳川家康、岡部弥次郎等の、小県郡丸子の戦功を賞す、357
正親町天正一三年九月八日1585富慶、姓闕く、有沢善助に、大日方佐渡守知行分等の地を宛行ふべきを約す、365
正親町天正一三年九月一三日1585小田切左馬助、安曇郡千見に、仁科勢を破る、是日、上杉景勝、左馬助の戦功を賞す、366
正親町天正一三年九月一五日1585小笠原貞慶、大日方民部に、筑摩郡神田の地を宛行ふ、366
正親町天正一三年九月一七日1585徳川家康の将平岩親吉等、佐久郡高野町に禁制を掲ぐ、367
正親町天正一三年九月一八日1585是より先、北条氏直、上野沼田城に、真田昌幸の将矢沢綱頼を攻む、是日、上杉景勝、綱頼の子頼幸を新発田陣より沼田に赴援せしめ、更に助勢を遣はすべきを告ぐ、367
正親町天正一三年九月二二日1585是より先、上杉景勝、島津忠直等をして、小県郡伊勢崎城を搆築せしむ、是日、忠直等、景勝に普請の情況を報ず、369
正親町天正一三年九月二六日1585小笠原貞慶の臣草間肥前、中田源二郎の所領筑摩郡庄内の地の年貢を注す、 溝口貞秀、筑摩郡小島郷見出分を中田源次郎に給す、371
正親町天正一三年一〇月一〇日1585上杉景勝、埴科郡海津城将須田満親に、条目を頒つ、373
正親町天正一三年一〇月一二日1585伊那郡大雄寺住持宗勤、克焉、宗円居士俗名闕く、の請に応じて、その預修の秉炬仏事法語を書きて、之に授く、374
正親町天正一三年一〇月一四日1585木曽義昌、児野の九郎左衛門に知行を給す、375
正親町天正一三年1585上杉景勝、所々領主をして、須田満親の荷三駄を勘過せしむ、375
正親町天正一三年1585上杉景勝、埴科郡中条村に、制札を掲ぐ、376
正親町天正一三年1585伊那郡開善寺住持宗販、速伝、同郡大雄寺住持宗勤克焉、に、道號の二大字及び説を与ふ、 宗販、武田信吉に肖像画に賛す、 信吉、宗販に山林を宛行ふ、377
正親町天正一三年一一月三日1585上杉景勝、上野沼田城将矢沢綱頼に、上野国に於いて地を宛行ふ、379
正親町天正一三年一一月一三日1585石川数正、徳川家康に叛き、小笠原貞慶の人質を拉して、三河岡崎城より羽柴秀吉の許に奔る、380
正親町天正一三年一一月一七日1585是より先、徳川家康、諏訪・佐久両郡の鎮将平岩親吉・柴田康忠を、遠江浜松に召し談合す、是日、真田昌幸、之を上杉景勝に報ず、382
正親町天正一三年一一月一九日1585羽柴秀吉、徳川家康の離叛するに依り、来春を期し之を攻めんとす、是日、真田昌幸をして、小笠原貞慶・木曽義昌等と甲斐・信濃のことを計らしむ、383
正親町天正一三年一一月一九日1585徳川家康、下条牛千世康長、の人質を伊那郡鎮将菅沼定利に送り、自ら同郡知久に参陣せるを嘉す、385
正親町天正一三年一一月二一日1585羽柴秀吉、真田昌幸の徳川家康に与せるを赦し、上洛を促す、387
正親町天正一三年一一月二七日1585諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、諏訪社上社、之を幕府に注進す、388
正親町天正一三年一二月二日1585徳川家康、下条牛千世をして、信濃の本領を安堵せしめ、美濃の所領の替地を宛行ふ、389
正親町天正一三年一二月一二日1585真田昌幸、小県郡信綱寺の、武田信玄菩提所を建立するに依り、佐久郡本意の上、同郡竜雲寺領を寄進せんことを約す、390
正親町天正一三年一二月一三日1585諏訪社上社、同社明年神使御頭を定む、391
正親町天正一三年一二月一三日1585小笠原貞慶・溝口貞秀を上洛せしめんとし、筑摩郡針尾の地を宛行ふ、391
正親町天正一三年一二月一四日1585小笠原貞慶、徳川家康と絶ち、保科正直を伊那郡高遠城に攻む、正直、之を郤く、是日、家康、正直の戦功を賞す、392
正親町天正一三年1585青柳頼長、青柳加賀守に藤丸並びに両筋の紋の使用を許す、394
正親町天正一三年1585諏訪社上社、同社今年頭役料を注す、394
正親町天正一三年1585佐久郡竜雲寺住持全祝、北高、同寺を退院し、同寺内の長寿院に退去す、395
正親町天正一四年正月一四日1586菅沼定利、伊那郡淵井市左衛門に知行を宛行ふ、397
正親町天正一四年正月二五日1586真田昌幸、塚本肥前守に、小県郡武石の地等を宛行ひ、且つ、領内の百姓の普請役を免ず、397
正親町天正一四年正月二七日1586上杉景勝、酒井新左衛門尉の高井郡大室に於ける軍功を賞す、398
正親町天正一四年1586佐久郡竜雲寺前住持全祝、北高、妙中居士当永、・浄光居士のため、秉炬仏事を行ふ、399