長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十 (100頁~)
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後陽成
慶長一〇年
1605
伊那郡小川郷、同郷持高帳を記す、 慶長十二年の小川郷年貢帳
100
後陽成
慶長一〇年九月一日
1605
石川三長、筑摩郡兎川寺をして、門前屋敷等を安堵せしむ、 渡辺長次、筑摩郡真観寺に書を送り、兎川寺安堵のことを、三長に取次ぐべきを約す、
105
後陽成
慶長一〇年一〇月一五日
1605
松平忠輝、埴科郡熊野社に、同郡皆神山の地を寄進す、
106
後陽成
慶長一〇年一〇月二一日
1605
真田信之の家臣清水甚右衛門等、小県郡前山村の検見を行ひ、同年の取箇を定む、
107
後陽成
慶長一〇年一〇月二三日
1605
小県郡信綱寺将奕、大雲、警巌より天童山樹上の切紙を伝授せらる、
133
後陽成
慶長一〇年一一月八日
1605
建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、同寺住持となり、入院す、
134
後陽成
慶長一〇年一一月一二日
1605
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
150
後陽成
慶長一〇年一一月一四日
1605
冬至、建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
151
後陽成
慶長一〇年一一月二二日
1605
諏訪頼満、頼水、亡父頼忠の百箇日供養を行ふ、
152
後陽成
慶長一〇年
1605
小県郡信綱寺将奕、大雲、京察に七仏以前天竺一枚切紙を伝授す、
155
後陽成
慶長一〇年
1605
浅間山、噴火す、
156
後陽成
慶長一〇年一二月八日
1605
仏成道日、山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
156
後陽成
慶長一〇年
1605
保科正貞、従五位下に叙せらる、
157
後陽成
慶長一〇年
1605
木曽代官、当年の谷中勘定目録を記す、
158
後陽成
慶長一一年正月一日
1606
元旦、山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
164
後陽成
慶長一一年正月九日
1606
信濃の人宮崎泰景、卒す、
166
後陽成
慶長一一年正月一五日
1606
仙石秀久、鷲見九一郎に、佐久郡平尾郷内に於いて知行を与ふ、 仙石秀久の某宛の宛行状
167
後陽成
慶長一一年
1606
大久保長安、諏訪社下社に灯篭を寄進す、
168
後陽成
慶長一一年
1606
水内郡祐聖、祇蓮坊、戸隠山顕光寺流記を越後に於いて買得し、之を同社に寄進す、
169
後陽成
慶長一一年二月二日
1606
徳川秀忠、小笠原秀政の二子小笠原幸松丸・春松丸に加冠し、それぞれ名乗一字を許し、忠脩・忠政と稲せしむ、
169
後陽成
慶長一一年二月一五日
1606
仙石秀久、出沢久三郎等に、佐久郡長土呂に於いて知行を与ふ、
172
後陽成
慶長一一年二月一六日
1606
建仁寺住持慈稽、古澗、豊臣守尚の請により、長谷川宗仁の初七日忌拈香仏事を同寺に修す、
173
後陽成
慶長一一年二月二四日
1606
仙石秀久、領内に新鉄砲奉公人を募る、
176
後陽成
慶長一一年二月二七日
1606
徳川家康、下総香取社を造営す、是日、信濃の弥七郎等、大鋸衆として、同社の造営に参仕す、
177
後陽成
慶長一一年二月二八日
1606
真田信之、原半兵衛に令して、小県郡秋和の闕落百姓を還住せしむ、
178
後陽成
慶長一一年三月二日
1606
真田信之、木村土佐守に令して、小県郡和田等の闕落百姓等の年貢諸役を減免せしむ、
179
後陽成
慶長一一年三月五日
1606
山村良勝、木曽湯舟沢村の月付皆済状を林六郎左衛門に渡し、尋いで、同村年貢皆済状を渡す、
180
後陽成
慶長一一年三月一三日
1606
真田信之、小山田之知に知行を与ふ、
181
後陽成
慶長一一年三月一五日
1606
真田信之、木村土佐守に命じ、加藤清正の女の、下野館林城主榊原康政息に嫁せんとして関東に下向するにつき、領内通過を助けしむ、
181
後陽成
慶長一一年三月二五日
1606
真田信之、矢沢頼幸に同心を預く、
182
後陽成
慶長一一年三月二七日
1606
山村良勝、木曽贄川宿百姓等の訴に依り、諸役を減免す、 山村良勝、贄川宿贄川庄左衛門等に、旧の如く諸役を免ず、
183
後陽成
慶長一一年三月二九日
1606
真田信之、関口角左衛門に知行を与ふ、尋いで、坂巻主税助等にも知行を与ふ、
185
後陽成
慶長一一年四月二日
1606
山村良勝、木曽湯船沢村の年貢仕詰状を林六郎左衛門に渡す、
186
後陽成
慶長一一年五月二日
1606
小県郡信綱寺住持京察、廟移の切紙を書す、
187
後陽成
慶長一一年五月九日
1606
山村良勝、川崎与五左衛門に命じ、木曽岩郷村より桧木七百五十本を出さしむ、
187
後陽成
慶長一一年五月一二日
1606
伊那郡開善寺住持玄種、蛮宿、玄芳梅南、に古則密参の切紙を伝授す、
188
後陽成
慶長一一年六月二二日
1606
真田信之、日置五右衛門に足軽廿人を預く、
188
後陽成
慶長一一年
1606
皆川広泰等、高井郡小菅社に絵馬を奉納す、
189
後陽成
慶長一一年七月五日
1606
建仁寺開山栄西明庵、忌日、同寺住持慈稽、古澗、拈香仏事を同寺に修す、
189
後陽成
慶長一一年七月一一日
1606
山村良勝等、木曽の土井・榑木の銀値段を定む、 戸田右衛門等、石原清右衛門等をして、土井買代金は銀子に定めらるることを、小野宗左衛門に報ぜしむ、
192
後陽成
慶長一一年七月一五日
1606
解制、建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
195
後陽成
慶長一一年七月二九日
1606
松平正綱等、千村良重をして、故遠山加兵衛知行地跡のことを取計らはしむ、
197
後陽成
慶長一一年八月八日
1606
松平忠輝、更級郡八幡社に禁制を掲ぐ、
198
後陽成
慶長一一年八月九日
1606
真田信之、小林九右衛門より、前年分年貢の金を請取る、
199
後陽成
慶長一一年
1606
山城聖護院法印某、佐久郡某に、僧都補任のことを同院門主に奏達せしことを通告す、
199
後陽成
慶長一一年一〇月一一日
1606
山村良勝、千村良重をして、諏訪頼満頼水、方より出すかはら木手伝人足の扶持米を頼満に渡さしむ、
199