長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十 (300頁~)
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後陽成
慶長一三年三月一八日
1608
徳川秀忠、仙石秀久の江戸の邸に臨む、
300
後陽成
慶長一三年三月二一日
1608
諏訪社上社、御影供頭番を定む、
300
後陽成
慶長一三年
1608
真田信幸、信之、小県郡下之郷大明神に板額を掲ぐ、
301
後陽成
慶長一三年四月二四日
1608
山村良勝、小野某の知行分年貢を減ず、
302
後陽成
慶長一三年四月二五日
1608
田中善右衛門等、高井郡秋山に入山する者の、皆川広照に忠勤すべきを命ず、
302
後陽成
慶長一三年四月二七日
1608
真田信之、木村土佐守をして、金子を助三 姓闕くに渡さしむ、
303
後陽成
慶長一三年五月一日
1608
木曽代官山村良勝、領内諸村の年貢・課役等を定む、
304
後陽成
慶長一三年五月一日
1608
真田信之、徳川秀忠に物を贈る、 信濃諸大名、秀忠に物を贈る、
314
後陽成
慶長一三年五月八日
1608
小県郡長谷寺住持等瑞、布国、大承禀室、に密参目録を伝授す、
316
後陽成
慶長一三年五月一四日
1608
真田信之、諸人の猥りに小県郡奈良原又兵衛屋敷付の山に入るを禁ず、
316
後陽成
慶長一三年五月二一日
1608
某宮内卿、源氏女、神鏡を水内郡戸隠社に奉納す、
317
後陽成
慶長一三年五月二九日
1608
真田信之、川原右京亮より年貢金を請取る、 信之、小林九右衛門等より年貢及び問屋役の金子等を請取る、
318
後陽成
慶長一三年六月一日
1608
半夏、山城建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
321
後陽成
慶長一三年六月一三日
1608
真田信幸、信之、小県郡下之郷大明神等に造営料を寄進す、
323
後陽成
慶長一三年六月一三日
1608
日桓、依田道春に蔓茶羅を授く、
324
後陽成
慶長一三年六月二〇日
1608
木曽の千村家政、卒す、
325
後陽成
慶長一三年六月二三日
1608
美濃岩村城主松平乗寿、山村良安の使者の、材木検査厳重に過ぐるを良安に訴ふ、
325
後陽成
慶長一三年六月二六日
1608
松平忠輝、高井郡興国寺に、同郡臥竜山を寄進す、
326
後陽成
慶長一三年六月二八日
1608
松平忠輝、埴科郡東条諏訪大明神に地を寄進す、
327
後陽成
慶長一三年
1608
伊那郡開善寺住持玄種、蛮宿、小笠原秀政の家臣某の求めに応じ、法諱宗白、・道号江月、を授け、道号の二大字並びに頌を与ふ、
327
後陽成
慶長一三年
1608
某、諏訪社上社に鎌を寄進す、
328
後陽成
慶長一三年
1608
溝口貞康、溝口家記を編録す、
329
後陽成
慶長一三年八月一八日
1608
諏訪郡矢島六左衛門、養子諏訪社上社権祝綱政に、新古今和歌集を授く、
329
後陽成
慶長一三年八月二八日
1608
能登総持寺、伊那郡西光寺呑退をして、同寺に瑞世転衣せしむ、
330
後陽成
慶長一三年九月四日
1608
諏訪頼郷、伊勢大神宮御師矢の倉六左衛門に音信を送る、
330
後陽成
慶長一三年九月五日
1608
佐久郡貞祥寺住持徳応、喚室、寂す、
331
後陽成
慶長一三年九月八日
1608
窪村善助等、筑摩郡青柳伝右衛門より兵法の伝授を受く、
332
後陽成
慶長一三年九月二五日
1608
小笠原秀政、伊那郡小平村の検地を行ふ、
333
後陽成
慶長一三年九月二六日
1608
石川三長、安曇郡満願寺をして、寺領を安堵せしむ、 青山一成等、満願寺に定書を下す、
336
後陽成
慶長一三年
1608
小県郡良泉寺、成る、
338
後陽成
慶長一三年一〇月一三日
1608
仙石秀久、鷲見九一郎等に鉄砲を免許し、熊皮等を納めしむ、
339
後陽成
慶長一三年一〇月一九日
1608
右馬助姓闕く等、佐久郡海瀬新町を立つ、 上村百姓等、高野町衆に、井堰及び刈草山の用益を認む、
340
後陽成
慶長一三年一〇月
1608
竹村七蔵・須田少三等、佐久郡大日向村の畑方物成を記す、 年貢勘定に関する覚書
341
後陽成
慶長一三年一〇月三〇日
1608
建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、同寺住持紹益三江、の請に応じて、紹益の同寺前住持東逋梅仙、を祭る文を代作す、
346
後陽成
慶長一三年一一月一〇日
1608
幕府、街道宿整備のため、佐久郡西樋沢村の百姓を同郡板橋に移す、
349
後陽成
慶長一三年一一月一九日
1608
仙石秀久、佐久郡万福寺に同郡長土呂の地を寄進す、
349
後陽成
慶長一三年一一月二三日
1608
仙石秀久、佐久郡野沢原村源六等に、田畑出目分年貢を給す、
350
後陽成
慶長一三年一一月二七日
1608
左近姓闕く等、筑摩郡青柳村の多兵衛より問屋役銀を請取る、
352
後陽成
慶長一三年
1608
上田領内村々貫高帳、成る、
352
後陽成
慶長一三年一二月三日
1608
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
358
後陽成
慶長一三年一二月六日
1608
更級郡興禅寺住持存育、隆山、その徒凉雪に嗣書を与ふ、
359
後陽成
慶長一三年一二月八日
1608
伊那郡開善寺、同寺の徒智全の、蔵主転位の官銭を請取る、
359
後陽成
慶長一三年一二月
1608
仏成道日、建仁寺住持慈稽、古澗、上堂説法す、
360
後陽成
慶長一三年一二月一五日
1608
須賀仁右衛門、小県郡手塚村御料所年貢納帳を記す、
361
後陽成
慶長一三年一二月二〇日
1608
小笠原秀政、伊那郡殿村の検地を行ふ、
373
後陽成
慶長一三年一二月二九日
1608
皆川広照の家臣某、高井郡東大滝村の蔵米を請取る、
397
後陽成
慶長一三年
1608
木曽代官山村良勝、隠居す、尋いで、子良案、その跡職を嗣ぎ、その礼のため良勝と共に参府す、 大久保長安より山村良安宛の書状
398
後陽成
慶長一三年
1608
安曇郡成相新田の町立あり、
399